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趣味は違っても嗜好は同じ / 武相荘

Written by 中野 香織July 30,2017

メンズファッションの世界が好きな人には絶大なファンが多い、白洲次郎(1902~1985)。私も著書や記事のなかでしばしば引用していますが、記者・実業家・農民・政治家側近・大臣・経営者・軽井沢ゴルフクラブ理事、などなど、激動の時代状況に応じてありとあらゆる仕事を経ながらも常にプリンシプル(自分が信じる原則)を貫いて風のように生きた男、として賛否両論を浴びながらも今なお語り継がれています。

神戸の豪商の家に生まれ、英ケンブリッジに留学し、戦前にすでにイギリス英語とイギリス紳士の服装術、社交術、考え方を身につけていた「和製ジェントルマン」で、第二次世界大戦後は吉田茂に請われGHQとの折衝に当たり、「従順ならざる唯一の日本人」と評されつつ戦後日本の立て直しのため陰に陽に活躍しました。参戦前に、すでに日本の敗戦を見越し、食糧難に備えて、鶴川に移住しています。現在は町田市になっていますが、武蔵と相模の堺にあるその農家は、両方の地名から一字ずつとって「武相荘(ぶあいそう)」と名付けられました。

旧・白洲次郎邸として名高い「武相荘」は、今では次郎と妻の正子の生活がそのままに保たれ、遺品が展示されているミュージアムになっています。二人がどんな生活をしていたのか、その痕跡に触れるべく、外気温32度の夏のある日、訪ねてみました。実は私の家から車で20分ほどの距離にあるのです。存在は知っていてもなかなかタイミングが合わなかったのですが、たまたま土曜日に近くを通り、導かれるように、ふらりと立ち寄った次第です。

buai 4.JPGいかにも不愛想な入り口の文字が書かれた門を通って、森の中に入っていきます。東京都にもこんな鬱蒼とした森があるのですね。タイムスリップしたような、そこだけ異次元のような森の中を抜けると、茅葺きの屋根の家屋が見えてきます。

buai 5.JPG中は撮影不可なので写真がなくて申し訳ありませんが、農家特有の「田」の字の設計で作られた家のなかに、ふたりの蔵書、書斎、着物、食器、愛した品々が、生活風景そのままに展示されていました。窓から見える景色、古い家の畳のにおい、床をふみしめたときにきしむ音。湿度を帯びた風の感触とにおい。実際に体感しなくてはわからないこうした要素を通して二人の生活を想像していると、時間が止まります。

趣味(ホビー)は違っても、嗜好(テイスト)は同じ。解説に書かれていた、子孫の言葉です。あまり一緒に行動しなかった次郎と正子が最高のパートナーでいられたのは、まさにこの点だったのですね。

buai 7.JPGbuai 8.JPG庭には家屋を守るように背の高い竹林が。神秘的な光が差し込みます。(写真が縦になりません......ご寛恕)

実際に使われていた農具。

buai 16.JPG納屋の上は、バー「Play Fast」になっています。次郎が愛用していたオリベッティのタイプライターや、軽井沢ゴルフクラブ理事時代に作った「Play Fast」Tシャツ、吉田茂からの手紙や、次郎がマッカーサーに送った椅子のレプリカなんかが展示されています。

buai 14.JPGティールームも併設され、ちょっとした観光地になっている様子を見て、おそらく白洲正子ファンと思われる女性の2人連れが「商売っ気たっぷりになっちゃったわね」と嘆いていました。そんな彼女たちもちゃっかりとティールームに入って行きました。

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buai 18.JPGこうして少しでも訪問客がお金を落としていくことで、次郎と正子の生活の痕跡がいい状態で保たれていくなら、すばらしいことではないですか。

buai 15.JPGそれにしても、屋敷にたどり着くまでの森の中が怖い。蚊はもちろんのこと、蜂もいるし、帰途は見たこともない巨大なカナブンが羽を広げ音を立てて飛んできて、思わず絶叫してしまいました。「キングコング」の髑髏島のシーンで、突然、見たこともない生き物に遭遇するあの感じ。生き物の不気味っぷりのレベルは違うものの。


さまざまな遺物のなかでも、やはりかっこよさ抜群で最も印象に残ったのが、次郎が学生時代に乗り回していたペイジSix-38。1916年型、5座席のツーリングカーです。

buai 17.JPG100年前の車が、よく磨かれた艶々の状態で保たれています。当時の車は大きくて、作りも重厚、とても迫力があります。やはり馬車から連想されていたのだなということがよくわかるデザインです。この運転席に座っていた次郎を想像するのも感慨深い。

buai 20.JPGそんなこんなの、次郎の生活を五感で感じられる旧・白洲次郎邸、武相荘。車は必要ですが(電車・バスでも行けることは行けます)、夏休みのちょっとしたお出かけにいかがでしょう。ライブや陶芸教室などもやっているみたいですので、スケジュールを調べて合わせていくのも一興でしょう。ただ、虫さされ防止のため、真夏でもできるだけ肌を隠す装いのほうがよいと思われます。

また、お出かけ前に、伊勢谷友介が次郎を、中谷美紀が正子を演じたNHKのドラマ「白洲次郎」を鑑賞していくことをお勧めします。ドラマのなかに、ここで展示されている数々のものを見ることができます。じっくりと作られたこのドラマの見どころはほんとうに多いのですが、なかでも、次郎が正子にプロポーズするシーンではあまりの決まりっぷりに悶絶します。

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儚きものを、硬い貴金属で作り上げる / 「ヴァンクリーフ&アーペル ハイジュエリーと日本の工芸」展 その2

Written by 中野 香織July 30,2017

すっかり時間が空いてしまい、恐縮のかぎりですが、ヴァンクリーフ&アーペル展の話、その2です。CEOのニコラ・ボス氏と、建築家の藤本壮介さんの興味深いレクチャーから。

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ニコラさん(右)によれば、今回は「魔法の雰囲気」をもつ展示会を目指しました。

展示会場の写真撮影が禁じられていたので想像していただくしかないのですが、今回のハイライトの一つに、18mに及ぶ板を使った展示がありました。5分割してエレベーターに載せたそうですが、この板でイメージされていたのは、すし屋のカウンター。その板の周囲を観覧者はぐるりと回り、表も裏もじっくりと観ることができるわけです。ジュエリーの「裏も見せます」という展示は、そういえば、なかなかありません。完璧な裏を見せられて、私たちは納得するわけです、ハイジュエリーというのは見えないところに手を抜くということを一切していない、どこから見ても極められた製品であることを。


6.3.9.JPG会場で唯一、撮影可能だった場所。ジュエリーのデザインがが大きく描かれていました。

vancleef 2.JPGヴァンクリーフ&アーペルのジュエリーのモチーフには、自然からインスピレーションを得たもの、バレリーナの瞬間のポーズなど、軽くて、儚くて、消えてしまいそうなものが圧倒的に多いのです。このように儚いイメージを、硬く丈夫な貴金属で作る、その結果、永遠に残るものになる。なるほど、ジュエリーが贈られる時という場面を想像してみると、儚いかもしれない感情を、永遠に「形」に残しておこうとする強い意志が感じられることが多いですね。儚き詩情を硬くとどめる。ここにまさにエモーショナルなジュエリーの醍醐味があるのですね。

vancleef 1.JPG日本の匠の技をきわめた逸品と、フランスの贅をつくしたハイジュエリーが並置された部屋も見ごたえがあります。藤本さんの演出により、どこまでも奥行きが続いていくように見えるのです。これぞマジカル。

究極のジュエリーをこのうえなく美しく見せる藤本さんの演出もまた「匠の技」であったわけですが、この建築家のお話もインスピレーションの宝庫でした。なにか選択をするときには、常に、なぜこれを選ぶのかを説明できるように努めているとのこと。その積み重ねが人やブランドのアイデンティティとなっていくわけですね。

vancleef 3.jpg(講演終了後、ヴァンクリーフの本に、ニコラさんのサインをいただきました)


新しい技術は伝統技術を損ねるものではなく、新しい技術と伝統は補完し合う、という考え方にも共感しました。この展示会もいよいよ8月6日まで、あと1週間で終わります。まだの方は、またとないチャンスですので、ぜひお出かけになってみてください。

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