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中野 香織

中野 香織

エッセイスト・服飾史家・明治大学特任教授

ファッション=時代と人を形づくるもの、と位置づけ、
過去2000年分の男女ファッション史から最新モード事情にいたるまで研究・執筆・レクチャーをおこなっている。
新聞・雑誌・ウェブなど、多メディアにおいて執筆しつづけて30年を超える。

「イギリス人は、軍服のセンスだけは抜群だった」 / マリー・クワント回顧録

Written by 中野 香織August 12,2017

今年の初めの本ブログで、マリー・クワントの本に触れながら、内容については次回に、と宣言したまま半年も経ってしまいました。どんなに時間が経ってもお約束は守るべく、今日は、マリー・クワント著『マリー・クワント』(野沢佳織・訳、晶文社)をご紹介します。

mary quant book.jpg本文だけで360頁近くある大著ですが、ユーモアあふれる文体、スピーディーでハチャメチャなマリーの野心と行動、そしてロックな熱気を帯びる60年代スウィンギン・ロンドンのカルチュアシーン、社交シーンが鮮やかに描かれています。映画を観ているように情景が思い浮かびます。この本は1960年代のロンドンで、ミニスカートをデザインし、世界に普及させるビジネスに成功した一人のファッションデザイナーの回顧録でもありますが、音楽やアートなどすべてにおいて革命が起きた当時のロンドンの雰囲気をなまなましく活写する文化史的な記録としても発見の多い貴重な一冊です。当時のロンドンを彩った固有名詞もばんばん出てきますし、イギリスのファッション業界がどのような仕組みになっていたのかも赤裸々にされます。多様な関心に応える本です。

随所にきらきらした文章があるのですが、なかでも強く印象に残っているのは、やはりマリーの観察力というか、ものの見方を示す文です。ちょっと斜めから、くすくすっという笑いを入れてコメントするのです。そのお茶目な意地悪コメントがたまりません。たとえば、

「あれほど多くのイギリス人女性が英国海軍婦人部隊(WRENS)に入ったのも、うなずける。WRENSの軍服はとてもおしゃれだった。イギリス人は、軍服のセンスだけは抜群だったのだ」

ほかの服装のセンスがいかにダサかったか、この短い一文ですべてを物語ります。

スウィンギン・ロンドンのワイルドな社交シーンの描写にも思わず吹き出します。

「その夜のお客はバッキンガム宮殿で働くおおかたの職員とその友人たちで、身につけている舞踏会用の服とティアラのほとんどは、宮殿に保管されているものだったそうだ」

だ、大丈夫だったのでしょうか、この職員たち......笑。なんとおおらかな時代だったのでしょう。

そんなこんなの狂騒を描くなかにも、マリーの芯にある強い意志や未来を見通す想像力の確かさを伺い知ることができる文が光ります。

「『新しい』ものを『品がない』と言う人は、変化を恐れていることが多い。当時、わたしがデザインをとおして示していたのは、この先ファッションは大量生産されるということ、手間をかけて手縫いする高級婦人服に明るい未来はないということだった。あのときすでに、わたしは大量生産を想定し、若い庶民のために服をデザインしていた」

「既存のルールを壊すと、力が湧いてくる」

成功を収める人は常に、既存のルールを疑い、壊すことから始めていますね。必ず出てくるバッシングをものともせず、壊して新しいものを作ることを快感とするポジティブなエネルギーにあふれているのが共通点だと思います。

さらに、さまざまな事象の裏にあるリアルな事情が暴かれるのがスリリング。たとえば、60年代に脚光を浴びた写真家たちについて。

「60年代のファッションフォトグラファーの多くは、兵役中に仕事を覚えた。軍隊には最新の写真撮影機材がそろっていて、彼らは訓練中、それらを使いこなすことを学んだ。」

兵役が、カルチュアシーンで大活躍するこのような副産物を生んだとは、誰が想像したでしょうか。

1972年に来日したときのエピソードも興味深い。

「出席したファッションジャーナリストは全員男性で、みな同じような黒のモヘアのスーツを着ていた。そして一様に、ジッパーつきの黒いブリーフケースからカメラを取り出すと、カシャカシャとしきりにシャッターを押した。質問は一度にひとりと決まっていて、最初の質問はこうだった。『年間の総売上と粗利益はどのくらいですか?』 はぁ? 『わかりません』 そう答えると、相手は戸惑ったようだった。それ以上の質問はなく、記者会見はすぐに終わった」

笑。いかにも情景が思い浮かびます。ファッションジャーナリストというより新聞社の記者さんではないかと思われるのですが、とりあえず数字を聞いて記事にするのが正攻法だったのでしょうか。

日本については、着物や芸者、日本食についてのユニークな見方も披露されます。「魚の目」や「なまこ」が供された時、隣の「ひな」(息子さんのオーランド)の口の中にさっと入れたエピソードなど。オーランドがなまこ好きになっていてくれることを祈りたい。

そして最後は2012年(執筆当時)の女性の状況や、SNSやバーチャル世界が現実を凌ぐ未来における私たちの姿を予兆して締めくくられます。


新しいデザインをどのように生むのか、ファッションビジネスのシステムをどうやって変えていくのか。そしてビジネスを好循環させるために社会とどのように対峙、ないしコミュニケーションをとっていくべきなのか。ヴァーチャル世界がより広がっていく未来にどう対処すべきなのか。多くのヒントに満ちた活気ある一冊、夏の休暇のお供にいかがでしょう。

mary quant 5.jpg読み終わったら、60年代の熱気を脳内に保ったまま、ヴィダル・サスーンのドキュメンタリーDVDも併せてご覧になることをお勧めします。ウォッシュ&ゴー(洗って、乾かして、セットせずそのまま出かけられる)のファイブ・ポイント・カットにより女性の行動を大胆にさせ、さらに美容業界にも革命を起こしたサスーンの仕事や人生が、これもユースクエイクまっ盛りの60年代を舞台にして、描かれます。

vidal sassoon 1.jpgクワントのミニスカートはやはり、サスーンのヘアカットで完成しますね。永遠の60年代スタイルは、時代の渦に巻き込まれながら時代の激動と真正面から向き合って生きた、情熱ある人間の不屈の行動から生まれたのだという印象を持ちました。「永遠」っていうのは目指して手に入るようなものではなく、一瞬一瞬の真剣な奮闘の結果としてもたらされるご褒美なんですね。

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さて、2年間にわたり連載させていただきましたが、今回が最終回となりました。みなさまからのコメントや感想が励みになり、更新後のご意見が楽しみでした。心より感謝申し上げます。連載終了後も本欄はしばらくの間、アップされております。今後ともフェアファクスをどうぞよろしくお願い申し上げます。

またどこかでお会いしましょう!


ロンドン・メンズファッションの今 / London Sartorial: Men's Style from Street to Bespoke

Written by 中野 香織August 04,2017

お天気が不安定な夏です。時には家で本のページをめくりながらゆっくり充電するのもよいですね。メンズファッションの世界がお好きな方に、最近、出版されたばかりの本をご紹介します。

london sartorial.jpgディラン・ジョーンズ著「ロンドン・サートリアル:ストリートからビスポークまで」(Dylan Jones, "London Sartorial: Men's Style from Sartorial to Bespoke.  Rizzoli)。

洋書なのでイントロダクションはじめテキスト部分は英語ですが、本の大半は写真で構成されていますので、ロンドン・メンズファッションの今を感じ取りながらその全体像を分類・概観したい向きには参考になります。

sartorial 6.jpgビジネス向きのスタイルのページより。細身のモダンブリティッシュ。

著者のディラン・ジョーンズは1960年生まれのジャーナリストです。1999年以来、UK版GQの編集長をつとめ、i-DやArenaといったメディアにも関わり、The Independent はじめいくつかの新聞でもコラムを寄稿しています。著書も多数。

sartorial 5.jpg(上は、この本の著者紹介のページに掲載されていた写真です。)ディランがGQに移ってからこの雑誌は変わりました。質の高い執筆陣をそろえたばかりか、政治の色も強めていったのです。元ロンドン市長、ボリス・ジョンソンにも車の記事を執筆させたり、保守党党首になった直後のデイヴィッド・キャメロンを表紙に使ったりもしています。その後、UK版GQは数々の賞を受賞、ディラン・ジョーンズ本人も、ファッション・ジャーナリズムとファッション産業への貢献が認められて2013年にO.B.E.を受勲しています。日本の「ファッション・ジャーナリズム」と呼ばれるものの大半がブランドの太鼓持ちにならざるをえない現状と比較してはいけないのかもしれませんが、このような大胆な例があるということは、ファッションを題材に仕事をしている者にとって、大きな希望となりますね。

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さて、内容ですが、サヴィルロウのビジネススタイルから、前衛的なデザイナーズ、反逆的なストリートにいたるまで百花繚乱のロンドンメンズスタイルが、大きく10種類に分類されています。

「マイスタイル」、「パークライフ」、「ピンストライプ・パンク」、「ウエストエンド・ボーイズ」、「ビジネス」、「ブリット・ポップ」などなど。
sartorial 4.JPGさらに、今注目すべきメンズブランドの解説や、メンズウエアのショッピングガイドまでついており、実際にロンドンに行ってお金を使いたいと思いたくなるような構成になっているあたり、さすがやり手のGQ編集長。

老舗ブランドのイメージも、クリエイティブディエレクター次第で刻々変わるので油断なりません。「ギーヴズ&ホークス」のページを見て驚きましたもの。つい昨年、サヴィルロウ1番地にあるこのブランドの由緒ある歴史と今についてトークショウをしたばかりだったのですが、現在はさらに変貌を遂げ、モダナイズされています。現在はマーク・フロストがデザインディレクターに就いていますが、歴史の遺産を生かしながら、軽やかで風通しのいいイメージを作り上げています。

6月にうかがったロンドン・ファッション・ウィーク・メンズで、その人気の高さに驚いたE-Tautzに関しても、さっそく最新の解説を読むことができました。クリエイティブ・ディレクターのパトリック・グラントは、2010年にブリティッシュ・ファッション・アワードのメンズデザイナー賞を受賞しているのですが、BBC2 のテレビ番組"The Great British Sewing Bee"の審査員も務めているのですね。

patric grant 1.jpg(左がパトリック・グラント。右はエスメ・ヤング。ロンドンのセントラル・セント・マーチンズという有名ファッションスクールの講師で、「スワンキー・モード」というブランドの創始者でもあり、「トレインスポッティング」や「ブリジットジョーンズ」の衣装デザインも手掛けています。写真は番組のHPよりシェアさせていただきました。)

この番組じたい、初めて聞いたのでさっそく調べてみましたところ、素人のソウヤー(縫う人)がイギリスNo.1のソウヤーを目指し、その腕を競い合う番組らしい。このような企画、よいと思いませんか? ソウヤーもシンガーと同じように、才能を見出され、讃えられ、育てられ、日の目を当てられるべき。それによってソウヤーを目指す生きのいい若者もどんどん出てくるし、ソウヤーが働く現場が活性化します。日本でもぜひこのような企画をやってみませんか? テレビ関係者の方、もしくは今ならYou Tubeで始めることも可能では。

......などなどとしまいには本を離れて妄想が走りだしてしまいましたが、そのように、この分野に関心がある程度高い人にとっては(←ここ、一応強調しておきますね。そうでない方にとってはマニアックすぎる本なので)、触発されるところが多い、魅惑的な一冊です。

趣味は違っても嗜好は同じ / 武相荘

Written by 中野 香織July 30,2017

メンズファッションの世界が好きな人には絶大なファンが多い、白洲次郎(1902~1985)。私も著書や記事のなかでしばしば引用していますが、記者・実業家・農民・政治家側近・大臣・経営者・軽井沢ゴルフクラブ理事、などなど、激動の時代状況に応じてありとあらゆる仕事を経ながらも常にプリンシプル(自分が信じる原則)を貫いて風のように生きた男、として賛否両論を浴びながらも今なお語り継がれています。

神戸の豪商の家に生まれ、英ケンブリッジに留学し、戦前にすでにイギリス英語とイギリス紳士の服装術、社交術、考え方を身につけていた「和製ジェントルマン」で、第二次世界大戦後は吉田茂に請われGHQとの折衝に当たり、「従順ならざる唯一の日本人」と評されつつ戦後日本の立て直しのため陰に陽に活躍しました。参戦前に、すでに日本の敗戦を見越し、食糧難に備えて、鶴川に移住しています。現在は町田市になっていますが、武蔵と相模の堺にあるその農家は、両方の地名から一字ずつとって「武相荘(ぶあいそう)」と名付けられました。

旧・白洲次郎邸として名高い「武相荘」は、今では次郎と妻の正子の生活がそのままに保たれ、遺品が展示されているミュージアムになっています。二人がどんな生活をしていたのか、その痕跡に触れるべく、外気温32度の夏のある日、訪ねてみました。実は私の家から車で20分ほどの距離にあるのです。存在は知っていてもなかなかタイミングが合わなかったのですが、たまたま土曜日に近くを通り、導かれるように、ふらりと立ち寄った次第です。

buai 4.JPGいかにも不愛想な入り口の文字が書かれた門を通って、森の中に入っていきます。東京都にもこんな鬱蒼とした森があるのですね。タイムスリップしたような、そこだけ異次元のような森の中を抜けると、茅葺きの屋根の家屋が見えてきます。

buai 5.JPG中は撮影不可なので写真がなくて申し訳ありませんが、農家特有の「田」の字の設計で作られた家のなかに、ふたりの蔵書、書斎、着物、食器、愛した品々が、生活風景そのままに展示されていました。窓から見える景色、古い家の畳のにおい、床をふみしめたときにきしむ音。湿度を帯びた風の感触とにおい。実際に体感しなくてはわからないこうした要素を通して二人の生活を想像していると、時間が止まります。

趣味(ホビー)は違っても、嗜好(テイスト)は同じ。解説に書かれていた、子孫の言葉です。あまり一緒に行動しなかった次郎と正子が最高のパートナーでいられたのは、まさにこの点だったのですね。

buai 7.JPGbuai 8.JPG庭には家屋を守るように背の高い竹林が。神秘的な光が差し込みます。(写真が縦になりません......ご寛恕)

実際に使われていた農具。

buai 16.JPG納屋の上は、バー「Play Fast」になっています。次郎が愛用していたオリベッティのタイプライターや、軽井沢ゴルフクラブ理事時代に作った「Play Fast」Tシャツ、吉田茂からの手紙や、次郎がマッカーサーに送った椅子のレプリカなんかが展示されています。

buai 14.JPGティールームも併設され、ちょっとした観光地になっている様子を見て、おそらく白洲正子ファンと思われる女性の2人連れが「商売っ気たっぷりになっちゃったわね」と嘆いていました。そんな彼女たちもちゃっかりとティールームに入って行きました。

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buai 18.JPGこうして少しでも訪問客がお金を落としていくことで、次郎と正子の生活の痕跡がいい状態で保たれていくなら、すばらしいことではないですか。

buai 15.JPGそれにしても、屋敷にたどり着くまでの森の中が怖い。蚊はもちろんのこと、蜂もいるし、帰途は見たこともない巨大なカナブンが羽を広げ音を立てて飛んできて、思わず絶叫してしまいました。「キングコング」の髑髏島のシーンで、突然、見たこともない生き物に遭遇するあの感じ。生き物の不気味っぷりのレベルは違うものの。


さまざまな遺物のなかでも、やはりかっこよさ抜群で最も印象に残ったのが、次郎が学生時代に乗り回していたペイジSix-38。1916年型、5座席のツーリングカーです。

buai 17.JPG100年前の車が、よく磨かれた艶々の状態で保たれています。当時の車は大きくて、作りも重厚、とても迫力があります。やはり馬車から連想されていたのだなということがよくわかるデザインです。この運転席に座っていた次郎を想像するのも感慨深い。

buai 20.JPGそんなこんなの、次郎の生活を五感で感じられる旧・白洲次郎邸、武相荘。車は必要ですが(電車・バスでも行けることは行けます)、夏休みのちょっとしたお出かけにいかがでしょう。ライブや陶芸教室などもやっているみたいですので、スケジュールを調べて合わせていくのも一興でしょう。ただ、虫さされ防止のため、真夏でもできるだけ肌を隠す装いのほうがよいと思われます。

また、お出かけ前に、伊勢谷友介が次郎を、中谷美紀が正子を演じたNHKのドラマ「白洲次郎」を鑑賞していくことをお勧めします。ドラマのなかに、ここで展示されている数々のものを見ることができます。じっくりと作られたこのドラマの見どころはほんとうに多いのですが、なかでも、次郎が正子にプロポーズするシーンではあまりの決まりっぷりに悶絶します。

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儚きものを、硬い貴金属で作り上げる / 「ヴァンクリーフ&アーペル ハイジュエリーと日本の工芸」展 その2

Written by 中野 香織July 30,2017

すっかり時間が空いてしまい、恐縮のかぎりですが、ヴァンクリーフ&アーペル展の話、その2です。CEOのニコラ・ボス氏と、建築家の藤本壮介さんの興味深いレクチャーから。

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ニコラさん(右)によれば、今回は「魔法の雰囲気」をもつ展示会を目指しました。

展示会場の写真撮影が禁じられていたので想像していただくしかないのですが、今回のハイライトの一つに、18mに及ぶ板を使った展示がありました。5分割してエレベーターに載せたそうですが、この板でイメージされていたのは、すし屋のカウンター。その板の周囲を観覧者はぐるりと回り、表も裏もじっくりと観ることができるわけです。ジュエリーの「裏も見せます」という展示は、そういえば、なかなかありません。完璧な裏を見せられて、私たちは納得するわけです、ハイジュエリーというのは見えないところに手を抜くということを一切していない、どこから見ても極められた製品であることを。


6.3.9.JPG会場で唯一、撮影可能だった場所。ジュエリーのデザインがが大きく描かれていました。

vancleef 2.JPGヴァンクリーフ&アーペルのジュエリーのモチーフには、自然からインスピレーションを得たもの、バレリーナの瞬間のポーズなど、軽くて、儚くて、消えてしまいそうなものが圧倒的に多いのです。このように儚いイメージを、硬く丈夫な貴金属で作る、その結果、永遠に残るものになる。なるほど、ジュエリーが贈られる時という場面を想像してみると、儚いかもしれない感情を、永遠に「形」に残しておこうとする強い意志が感じられることが多いですね。儚き詩情を硬くとどめる。ここにまさにエモーショナルなジュエリーの醍醐味があるのですね。

vancleef 1.JPG日本の匠の技をきわめた逸品と、フランスの贅をつくしたハイジュエリーが並置された部屋も見ごたえがあります。藤本さんの演出により、どこまでも奥行きが続いていくように見えるのです。これぞマジカル。

究極のジュエリーをこのうえなく美しく見せる藤本さんの演出もまた「匠の技」であったわけですが、この建築家のお話もインスピレーションの宝庫でした。なにか選択をするときには、常に、なぜこれを選ぶのかを説明できるように努めているとのこと。その積み重ねが人やブランドのアイデンティティとなっていくわけですね。

vancleef 3.jpg(講演終了後、ヴァンクリーフの本に、ニコラさんのサインをいただきました)


新しい技術は伝統技術を損ねるものではなく、新しい技術と伝統は補完し合う、という考え方にも共感しました。この展示会もいよいよ8月6日まで、あと1週間で終わります。まだの方は、またとないチャンスですので、ぜひお出かけになってみてください。

「職人になりたい」と思ってもらうために / 「ヴァンクリーフ&アーペル ハイジュエリーと日本の工芸」展 その1

Written by 中野 香織June 07,2017

みなさま、こんにちは。梅雨入りのニュースもちらほら聞こえる季節になりましたが、お健やかにお過ごしでしょうか。

6月に入ったばかりの週末に、京都国立近代美術館で開催されている「ヴァンクリーフ&アーペル ハイジュエリーと日本の工芸」展に行ってまいりました。

6.3.8.JPG3日(土)に行われる講演会が最大の目的でした。ヴァンクリーフのプレジデント&CEOの二コラ・ボスさん、そして今回の会場のデザインを手がけた建築家の藤本壮介さんによるレクチャーです。お二人のお話を聞いてからこの展覧会を観たことで、展覧会の意図が明確にわかり、展示を多角的な視点から味わうことができました。そこで今日は、貴重なレクチャーから学んだことを中心に、みなさまと共有したいと思ったことを書きますね。

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ヴァンクリーフ&アーペルとは、1906年にパリで創業したハイジュエラーです。宝石を支える爪を表から見せない「ミステリー・セッティング」をはじめとした宝飾技法を次々に開発し、その技術は、「黄金の手」と呼ばれる専属職人により現在まで継承されています。

今回の京都での展示は「技を極める」をテーマに、ヴァンクリーフの作品が伝える超絶技法を、七宝や陶芸、金細工といった日本工芸の超絶技法と対比しながら紹介していく、という試みでした。いわば日仏超絶技法、夢の競演。

実はヴァンクリーフがこのようにジュエリーの展覧会をするのは初めてではなく、2012年にパリ装飾芸術美術館で「ハイジュエリーの芸術」展をおこなっているし、それに先立つ2011年にはアメリカのクーパー・ヒューイット国立デザイン博物館で「セット・イン・スタイル」展を開催しています。

Set-in-Style.jpg(Photo shared from official HP of Vancleef & Arpels)

そして2016年にはシンガポールの「アート&サイエンス ミュージアム」において、石がどのように自然界で生成されていくのかという「宝石のアートとサイエンス」展を開催されたとのこと。そして今回の京都は4年前から準備が始められていました。

なぜ、ジュエラーがこのように世界中で展覧会を行うのか?

それは、宝飾職人の高度な技術を未来に伝えていくため。

ヴァンクリーフ&アーペルが扱うようなハイジュエリーは、ただビジネスだけをおこなっているかぎり、実際に見ることができるのは一部の特権階級、あるいは浮遊層に限られます。しかし、ジュエリーを作りあげる職人はそうではありません。高度に極められた技術は継承していく必要があるけれど、職人になりたいという若い人がいない。であれば、職人希望者を増やすためにも、この仕事を、今まさに華やぎ、将来も成長が見込めるすばらしい仕事として、もっと広く知ってもらう必要がある。そのように考えたニコラさんは、学校とも協力して教育の現場でジュエリーの楽しさを広めたり、展覧会を世界中で開催したりすることを通して、より多くの人に観てもらう努力を続けているのだそうです。

「職人になりたいという若い人がいない」。日本の伝統工芸の分野や、服作りの領域でも、しばしば耳にする嘆きです。でもニコラさんの話を聞いて「なるほどなあ...」と思ったのですが、そもそも、そんな仕事があるということが「知られていない」ということも確かにあるのですよね。ジュエリーであれ工芸であれ、まずはそれが魅力的な、意義を感じられる仕事であることを「広く知ってもらう」ための行動を起こし、それを続けていくことから始めなくてはならないのかもしれません。認知度を高めることは決して大衆におもねることではなく、業界全体の現在と未来の発展につながるという指摘は、きわめて説得力がありました。

6.3.6.JPG会場には、宝飾職人が実際に使っている机の再現も。このように木をくりぬいた部分に身体を入れる。これはとても作業がしやすいはず。資料や辞書や写真やパソコンなどを360度方向に散乱させて原稿を書いている私も、これは使いたい!と思いました。どなたか事務机としてプロデュースしてください。

6.3.7.JPG窓からはパリのヴァンドーム広場が見える...という仕事場の再現風景。

(その2に続く)

アラビア流おもてなしを体験する その3

Written by 中野 香織May 10,2017

(その2より続く)何種類ものスパイシーなお茶やコーヒーをいただきながら、ほかにも多くのことを学びました。イスラム教のラマダンは一日、絶食することで知られていますが、実は本来は、「他人のことを考える」「貧しい人たちを助ける」という意味合いがあったのだということ。食べ物はできるだけ多くの人に分け与える、そのような思いをもって、食べ物に恵まれた者は絶食するのだそうです。さらに、妊婦や子供であったり、気分がすぐれない時などは、ふつうに食事をしてもかまわないとのこと。もともと、イスラム教と仏教は他者への思いやりという点で似たところがあるのだそうです。一部のテロリストが曲解して、間違ったイメージが普及していることもあるというのは、とても残念なことですね。

arab 12.JPGすでに午後も半ばの時間にさしかかろうという頃、私は気付きました。他者への思いやりにあふれるアラビア流のおもてなしの流儀に則れば、おそらく延々と引き留められることになるのだ、と。笑 タイミングを見計らっておいとまごいをさせていただいたあとも、お礼やら感想やらたくさんの写真撮影やらでひとしきり盛り上がっておりました。

arab 15.JPGそれぞれの衣装が、似ているようで、構造も素材も構成要素も全く違うものであることがおわかりいただけますでしょうか。


日本ではまだなじみの薄いムスリムの文化に、親密な雰囲気のなかで触れることができた、貴重で忘れがたい機会となりました。



さて。ここで「その1」の中でちらと書いた疑問に戻ります。いったいなぜ、アラビア文化圏に出かけたこともない、しかも政府高官の夫人などではまったくない独身の私なんぞが「在日アラブ大使夫人の会」に招かれたのか? マダム・パレスチナのマーリがこのように教えてくれました。「なぜ私たちがあなたをお招きしたのか、疑問におもっていらっしゃるでしょう? 実は、ジュンアシダの広報誌にあなたが書いていたナジワ・カラームのエッセイに感動したからなのです。こんな風に書く人ならば間違いはないと思って、必死に連絡先を調べて、大使館の方にお願いして連絡をとってもらったのです」。

najiwa 13.jpgおお、ナジワ・カラーム。なんと人生とは想定をはるかに超えたところでつながるものなのでしょうか。日本でこそあまり知る人はいませんが、ナジワはアラビア文化圏における大スターで、その名声、実力、レコードの売り上げその他もろもろの記録はマドンナをはるかに超えているのです。この大スターが実は昨年、おしのびで来日しており、ひょんなご縁からインタビューする機会をいただいた私は、アジア圏で初めてナジワに取材したばかりか一緒に屋形船で花見をしたエッセイストとなり(笑)、その成果を長年連載している企業の広報誌に執筆していたのでした。英語版もあり、英語版は駐日大使夫人に行きわたっているはずなので、そこから発見してくださったという経緯はなるほど納得。


でも読者のみなさまの疑問は続くでしょう。なぜ私なんぞがおしのびで来日した中東の大スターにインタビューできたのか?と。
4.6.6.jpgレバノン出身のナジワは、同じレバノン出身で現在ラスベガスの不動産王として活躍しているビジネスマンの友人として、昨年、ビジネスマンとともに来日していたのです。そのビジネスマンは、アメリカで活躍する日本人の女性経営者とビジネスパートナーの関係にあります。その女性経営者は私の知り合いで、私のことをとても信頼してくれている方なのです。


さらに、そもそも、なぜ私が女性経営者と知り合い、親しくなることができたのかといえば、あるパーティーの席で、彼女がラスベガスの不動産王の話を通訳するときに、あまりにも面白い意訳をしていたので私が率直におもしろい、と笑ったからです。シリアスなビジネスの話に笑う人などほとんどいません。でも本当に痛快な訳だったので、正直な私はつい笑ってしまった。そのことが、逆に彼女と私を近づけたというわけです。


つまり、心にわきあがった感情を率直に表現したことが、めぐりめぐって、中東の大スターと引き合わされるご縁を生み、それがさらにめぐりめぐって今回の大使夫人のお招きを受けることにつながった......ということになります。


いつでも心の声に正直に。フットワークはできるだけ軽く。目の前の人には少しだけでも心をオープンに。感動と感謝を伝えることを忘れずに。それが予想外の幸運を招き、人生を楽しくする(こともある)秘訣のひとつかもしれないと、不思議なご縁をふりかえってしみじみ思います。必ずしもいいことばかり起きるとはかぎらないということは常に肝に銘じておきますが。

アラビア流おもてなしを体験する その2

Written by 中野 香織May 10,2017

(その1から続く)いよいよ昼食が始まります。各国の大使夫人がそれぞれの国の家庭料理を持ちより、それを各自がブッフェ形式でいただくというハートフルなおもてなし。

arab 8.jpgお料理の手前に、どこの国の料理なのかがわかるよう、料理の名前と国名、国旗が記されたカードが置かれています。

銀のトレイに美しく盛られた料理はどれも初めて食べるものばかりでしたが、心を込めて作られたことが胃袋を通して伝わってくる、スパイシーながらとてもおいしいものでした。

arab 6.JPGスイーツはあまりの甘さに衝撃。圧巻のフルーツはすべてそれぞれの本国から空輸されたものです。これが本来の自然の味というか、「甘くない」のです。日本のように甘くするよう改良していないので、むしろさっぱりとしていて、口直しに最適でした。arab 9.JPG

料理はどれも手が込んでいてすばらしく、できれば作り方を学びたいものもありました......と思ったら、マダム・ヨルダンのシファが、日本で入手できる材料を使ったアラビア料理の本を日本語で出したいと希望しているとのこと。とてもいいアイディアだし、この超インテリ美女軍団でもあるアラブ女性たちならばユニークな料理本ができるはず。読者のなかに出版社の方がいらしたら、ぜひ、ご検討くださいませ。私まで連絡いただければおつなぎします。

さて、食事が終わって場所を移してティータイム。豪華なティーセットが用意されています。


arab 11.jpg各国によってお茶やコーヒーの淹れ方や、飲み方の作法が違うんですよね。何種類か聞きましたが、スパイスの香りに酔わされ、なにがなんだか正確な区別がわからなくなっています。メモも判読不能...。申し訳ありません。唯一覚えているのは、カップが空になると延々と注ぎ続けられるので、「もうお代わりはいりません」というときは合図としてカップを左右にふる、ということ。arab 14.JPGデモンストレーションしてくれる赤いドレスの方はマダム・パレスチナのマーリ。ピンクのドレスの方はマダム・カタールのジャミーラ。彼女たちのドレスは至近距離で見ると実に贅沢な生地と仕立てで作られていることがわかります。溜息がでるくらいの迫力なのです。

ちなみに日本女性も10人ほど招かれていたのですが、アラビア文化関係者のほかは、ほとんどが政治家や外交官の奥様でした。

お茶をいただきながら、ゲストの一人、ユニセフの親善大使でもあるアグネス・チャンさんによるお話を聞きました。シリア難民の子どもの教育に関する最新情報です。シリアの子どもたちは美しく明るい。状況がいかに困難であっても、未来の希望である子供たちに教育を授けようと最大の努力が払われていることを知りました。アグネスさんの貢献にも頭が下がる思いがします。

arab 13.JPGアグネスさんの右隣のお着物の方は、外務省中東アフリカ局参事官の高橋さんの奥様。着物地と帯にアラビアンナイトの模様があしらわれているのです。帯留めもご自分のお名前をアラビア語でかたどったもの。このような、アラビア文化に敬意を表した着物で社交するという姿勢、さすが外交官の奥様だけあるなあと感動した次第です。

(その3に続きます)

アラビア流おもてなしを体験する その1

Written by 中野 香織May 10,2017

みなさま、こんにちは。またしてもご無沙汰してしまってごめんなさい。
世界情勢が刻々と変わり、予断を許さない日々が続いていますね。攻撃や威嚇や緊張状態ばかりがニュースになりますが、生活文化やファッションを異文化に対して発信し、理解してもらおうとする努力を重ねて他国との平和な友好関係を結ぼうと行動する人たちもいます。世界の未来に明るい希望を見るためにも、今日はそのお話をいたしましょう。

ゴールデンウィークに入る直前、「駐日アラブ大使夫人の会」から昼食会に招かれました。場所はカタール大使館。なぜアラビア語圏に行ったこともない私などが招かれたのか? これについては後に大使夫人のひとりから聞かされることになるのですが、ともかくも私はアラブ世界に対する好奇心に導かれ、元麻布にあるカタール大使館をはじめて訪れたのでした。

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一歩足を踏み入れるとそこはもうアラブ世界。えもいえぬよい香りが豪華な室内いっぱいに満ち満ちて、異次元に連れていかれます。そして迎えてくださった7人の駐日大使夫人たちのエキゾティックな美しさときたら...。ヨルダン、チュニジア、パレスチナ、モロッコ、イエメン、オマーン、カタール。それぞれの国のゴージャスな衣装に身を包み、丁寧に化粧を施し、フェミニンの極みのような香りと笑顔で迎えてくださったのです。西洋の方はしばしば日本と韓国と中国の区別をつけにくいとおっしゃいますが、私にしても、この時点では上にあげた各国の区別がまったくついていません。でも、服装も全く違ってそれぞれの文化ならではの特徴やルールがあるし、食文化やお茶の飲み方にも違いがあります。ひとりひとりと話をしてみて、ようやくおぼろげに感覚的に違いがあるようだ......とわかりかけてきた程度。

arab all the ladies.jpg今回もてなしてくださった大使夫人たち。左からマダム・ヨルダンのシーファ、マダム・イエメンのジャミーラ、マダム・チュニジアのウィダッド、マダム・パレスティナのマーリ、マダム・モロッコのファティハ、マダム・オマーンのアビール、そしてマダム・カタールのジャミーラです。


さて昼食の前に次々にプレゼンテーションがおこなわれます。まずはアラビア流のおもてなしの解説。アラビア流のおもてなしはお香から始まるということ。そして基本はゲストに自宅にいるようにくつろいでもらうようにすること。見知らぬ人でも宿に困っていたら泊めてもてなし、3日目にようやく職業を聞くのだとか。

そして次なる話題は、「アラブと日本の類似点」。シルクロードを通って日本とアラブが交流してきた歴史の簡単な解説と、その結果としての類似品や、よく似た習慣の指摘がおこなわれます。シルク、お香、真珠、コットン。ゆべし、七味スパイス。モザイク、アラベスク文様、青い陶器、青海波モチーフ、ステンドグラス。長持ち、押し入れ、竹天井、土壁、和式トイレ=アラビックトイレ、ゴザ、すだれ。三味線、温泉、布団、おちょこ......。実に多くの類似点があることを豊富な写真スライドで見せていただきました。このプレゼンをおこなったのはヨルダンのシファさんですが(下の写真の右から2番目、グレーのドレス)、彼女はたいへんなインテリだなと感じたら、なんと理工系の大学院を出ていらっしゃいました。ほかの大使夫人も、大学院卒が多いとのことです。



さらにアラビア式インセンスのつくり方ともてなし方。水に香りづけもするんですが、その具体的なやり方をデモンストレーションしていただきました。マダム・イエメンのジャミーラがまとうドレス(ゼンナと呼ばれる)は金糸銀糸を使った豪華な服地で作られた精巧なもので、ヘッドピースはオスバと呼ばれ、既婚婦人が着用するのだそうです。イスラム教では基本、夫以外の男性に髪や肌をできるだけ見せないことになっていますが、「必ずしも義務ではない」とのこと。

arab 4.JPG

ひととおりアラブ文化の概要を学んでからランチテーブルへ。席順は、折り紙で選びます。マダム・オマーンのアベールが折ったカラフルな鶴の折り紙から一羽を選ぶ。それと同じ鶴が置いてあるテーブルへ着く、という仕組み。このやり方、公平感もあり、素敵ですね!

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さて、食事が始まります。(次の記事へ続きます。)

「3.0」時代にビジネススーツは何色になっているのか

Written by 中野 香織March 01,2017

みなさま、こんにちは。3月に入りました。就職説明会が本格的に始まり、黒いリクルートスーツ軍団を目にする季節でもあります。

毎年、あちこちで書いたり話したりしていることですが、これは21世紀に入って生まれた、日本独自の光景です。マニュアルに従いたい大学生。作りやすく売りやすいものをわかりやすく販売したい量販店。両者の思惑がみごとに合致して生まれた、特異な流行です。

それでも就活時だけの現象かと思っていたら、そうではないのですね。

NewsPicksの編集長でもあられる佐々木紀彦さん著『日本3.0』(幻冬舎)という本のなかに、驚きの服装指南がありました。


念のためお断りしておきますが、この本じたいは、とても真摯な思いから書かれている良い本なのです。明治維新から敗戦までの「日本1.0」、敗戦から現在までの「日本2.0」に続く、これからの「3.0」時代を生き抜くための現状総整理と未来への提言。なによりも、世界で闘っていくためには「教養」が必要と説き、後半はかなりその点が強調されているところに、頼もしさを感じます。

引っ掛かりを感じたのは、外見の大切さを説く箇所なのです。ほんの少しですが服装指南もなされています。そのなかにこんな記述がありました。

「『プレゼンのときは、黒いスーツを着る』など基本作法をおさえているかどうかで、相手への説得力が変わってきます」。(『』内は黒字で強調されています)

今の日本ではそういうことになっているのですか?? ビジネスのプレゼンの現場を見る機会も少ないので、「黒いスーツが基本作法」という言い切りにひるんだのですが。

百歩譲って、日本ではそうなっているということを受け容れましょう。でもこれは「グローバルに闘えるビジネスマン」としての心得を、おもに30代の方に向けて説いている本。とすれば、世界のビジネスの現場では黒は避け、ネイヴィーかダークグレーを着る、というのが一応のスタンダードになっていることくらいは、書き添えていただきたかったところです。

職種においても若干、異なりますが、現在のグローバル基準においては、黒は喪服、フォーマルなパーティー、あるいはトップモードとして着られる色で、ビジネスでは好まれません。

もちろん、法律があるわけでもないし、日本ではこれが主流だから黒でいいんだ、と通すならば、それもいずれはスタイルとして認められていく可能性もなきにしもあらず。(スティーブ・ジョブズのように、そもそもスーツを着ないということだって、貫き通せば「スタイル」になりえます。)

しかし、そこまでのスタイルを確立していない30代の方は、もし世界で闘おうとするのであれば、やはり現在のグローバル基準を、それこそ「教養」として押さえておくことをお勧めします。そのうえで、自分は何を着るのかを戦略的に考えることができればいいですね。(グローバル基準を知ったうえで、あえて日本流の黒で通すのも、結果をすべて引き受けるという覚悟の上であれば、よいと思います。)

銀座の老舗、高橋洋服店の高橋純さんの著。『「黒」は日本の常識、世界の非常識』。

フィクションとはいえ、やはり現在のビジネスマンの服装の参考にもなる、絶大な人気のアメリカのドラマ「スーツ」。弁護士事務所に勤務する主役の2人は、昼間のビジネスにおいては常にネイヴィーかダークグレーを着ています。

suits drama.jpgそもそも日本におけるビジネススーツの「基本作法」において「プレゼンには黒」ということになっているのだとしたら、就活生がそれにならうのも仕方がないことですね。

無理強いはしません。黒を一着もっていれば、冠婚葬祭にも使えるし、何よりも今の日本においては「みんな一緒」なので悪目立ちしないでいられる、という言い分も理解できるのです。それでもなお、世界で闘おうという志を掲げるビジネスマン、そして世界での活躍を視野に入れる就活生には、少しの勇気を発揮して、狭い視野の中の右ならえではなく、意志ある選択をしていただきたいと思っています。

就活生のみなさまのご健闘を、心より応援しています。

30年前のお宝で「初心」を思い出す~「卓越する」という回答

Written by 中野 香織January 06,2017

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、断捨離して古いものをどんどん捨てていくと新しいものが入ってくる......という言説が世間では大手を振って流通していますね。しかし、それは歴史家にはあてはまらないことがあります。世の中からはまっさきに捨てられそうな古いものをとっておくことで、それが後に新しいインスピレーションの源になったりします。

たとえば、昨年末、といっても一週間ほど前のことですが、〇十年ぶりに倉庫の資料を整理しておりましたらば、1987年(ちょうど30年前ですね)2月にロンドンからエアメイルで届いた大きな茶封筒がでてきました。

Mary Quant 1.jpg差出人はマリー・クヮント社。中には同社の当時のプレスオフィサー(広報担当)ルイーズ・バーネット氏からの手紙と、

img066.jpg

クヮントに関して書かれている文献リスト、同社のプレス資料、およびロンドン・ミュージアムの「マリー・クヮントのロンドン」展カタログ2種類。つまり、今ではほぼ入手不可能と思われる貴重な資料が同封されていました。

img070.jpg30年前。文学部をいったん卒業してから訳あって学士入学した教養学部の「イギリス科」というところで卒業論文を書くにあたり、テーマに選んだのが、「マリー・クヮントのミニスカートと1960年代のイギリス社会」でした。今のようにインターネットもなく、ましてやアマゾンもなく、同時代に発売された洋書を手に入れるのも一苦労という時代。マリーのことが書かれた文献を遠回りして探すより、いっそ思い切って同社に聞いてしまうのが確実であろうと考えた私は、マリー・クヮントご本人あてにその旨を手紙で書き、ご助言を乞うたのでした。受け取ったお返事が、こちらの期待をはるかに超える、上記のような資料だったというわけです。

Mary Quant 2.jpg

たしか、この茶封筒が届いたのが締切直前あたりで、論文には上記の資料を完全には反映できなかった記憶があります。それでもなんとかかき集めていた資料をもとに書き上げたのですが、教授陣(おもに英文学における「権威」と呼ばれる方々がずらりと揃っていました)から、賛否まっぷたつのコメントをいただきました。「前例がなく荒削りだが、新しいことにチャレンジするガッツは買いたい」という好意的な少数の感想と、「ファッション、しかもミニスカートのような軽薄で表層的なテーマはアカデミズムで扱うにふさわしくない」という旨の、圧倒的多数派の否定的意見。今から思えば、とりわけ、その中のお一人からあからさまな嫌悪感を表明されたことが心に「傷」(かすり傷ですけどね!)として残っていて、だからこそ、「そうではないことを証明いたしますから、しばしお待ちくださいませね」(←その時の心中を100倍ほど丁寧にした言葉で書いています)という闘志がわいたんですよね。人生を賭けるほどの情熱を感じていたわけでもなく、そこでやめてもよかったのです。ぬるい是認ばかりだったら、そこそこ満足してやめていたかもしれません。でも、「アンチ」さんがきつい言葉を放ってくれたおかげで、ここでやめるのは負けに等しいから、せめて「一勝」を実感できてからやめよう、と思ったのです。「アンチ」さんの存在が、実は意外に大きな前進のエネルギーになってくれるということは、その後もしばしば経験しました。

目の前で否定的な意見を公言してくれる「アンチ」さんはまだいい。その後、手探りで奮闘するなかで名前がメディアに出るようになると、とんでもなく卑劣で下品なやり方で足を引っ張ろうとしたり、貶めたりしようとする輩にもしばしば遭遇しました。理不尽ないじめにあうのと同じようなもので、心に鉛を落とされたような気持ちになりますよね。生きる力すら削がれるような思いをしたこともあります。しかし、攻撃を避けようとして仕事を控えるのは、向こうの思うツボにはまるだけ。かといって同じレベルで反撃しても自分がそのレベルに落ちるだけ。そんなときこそ、意地でも満面の笑顔と優雅な態度を保ち、悔しさや怒りを仕事のエネルギーに変換して、仕事の質を高め、その量を確実に積み重ねていくことに専心しました。振り返ってみると、圧倒的な差がついていた。「アンチ」さんこそが、私を後押しし、前進させてくれたというわけです。笑



ミシェル・オバマ氏が、2016年の4月に、ジャクソン大学の卒業生に向けておこなったスピーチは、理不尽な差別や憎しみ、偏見に対していかに闘うべきかについてのパワフルな指南も満載なのですが、とりわけ強く共感し、繰り返し聞いている一節があります。

"Excellence is the most powerful answers you can give to the doubters and the haters. It is also the most powerful thing you can do for yourself, because the process of striving and struggling and pushing yourself to new heights --- that's how you make yourself stronger and smarter and able to make a difference for others." (「疑いを向ける人、憎しみを向ける人に対してもっとも効力を発揮する答えは、卓越すること、なのです。それは、あなた自身にとっても、力を発揮します。なぜなら、努力し、奮闘し、あなた自身を新たな高みに押し上げるという過程、その過程こそが、あなた自身を強くし、賢くし、他の人たちと違う価値をもつ存在にするのですから」)

ミシェルのスピーチは、こちらです。上記のメッセージは18:00 あたりから。

30年前の、ぼろぼろになりかけた茶封筒は、ファッション史研究をはじめた頃の、忘れかけていたそんな「初心」も思い出させてくれました。偏見や悪意、嘲笑とも闘いながら、淡々と続けているうちに、まったく予想もしなかったことをしていたり(それはそれでエキサイティングでありがたいこと)、「私はいったい何をしているんだろうか?」と迷子気分になることもありました。でも、原点を思い出すことで、「この先」を考えるときのひとつの指針がはっきりしました。2008年のリーマンショック後に各ブランドが「アーカイブ」を見直したときとか、フランス革命で秩序が破壊したときに、ヨーロッパの人々が古代ギリシア・ローマを見直す「新古典主義」に向かったときも、このような感じだったのでしょうか。迷ったときの原点。断捨離しないことで、原点が見つかるというよいこともありますね。古いものを捨てなくても、視点を変え、心の容量のほうを広げていけば、新しいものはいくらでも入ってくるものです(物理的な容量に関しては、悩ましいかぎりですが)。


さて、マリー・クヮント関連のなつかしい資料を見直しているうちに、2013年に日本でも翻訳が出たクワントの自伝を開きたくなってきました。長らく積読状態にしていた本ですが、脳内がクヮントに新たな刺激を受けた勢いで一気に読了。これについては次回に。

Blogger

中野 香織

エッセイスト/服飾史家/
明治大学特任教授

伊知地 伸夫

”FAIRFAX” TRAD部門ディレクター

吉田 秀夫

”盆栽自転車” 代表

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”FAIRFAX” 代表取締役

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