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中野 香織

中野 香織

エッセイスト・服飾史家・明治大学特任教授

ファッション=時代と人を形づくるもの、と位置づけ、
過去2000年分の男女ファッション史から最新モード事情にいたるまで研究・執筆・レクチャーをおこなっている。
新聞・雑誌・ウェブなど、多メディアにおいて執筆しつづけて30年を超える。

「職人になりたい」と思ってもらうために / 「ヴァンクリーフ&アーペル ハイジュエリーと日本の工芸」展 その1

Written by 中野 香織June 07,2017

みなさま、こんにちは。梅雨入りのニュースもちらほら聞こえる季節になりましたが、お健やかにお過ごしでしょうか。

6月に入ったばかりの週末に、京都国立近代美術館で開催されている「ヴァンクリーフ&アーペル ハイジュエリーと日本の工芸」展に行ってまいりました。

6.3.8.JPG3日(土)に行われる講演会が最大の目的でした。ヴァンクリーフのプレジデント&CEOの二コラ・ボスさん、そして今回の会場のデザインを手がけた建築家の藤本壮介さんによるレクチャーです。お二人のお話を聞いてからこの展覧会を観たことで、展覧会の意図が明確にわかり、展示を多角的な視点から味わうことができました。そこで今日は、貴重なレクチャーから学んだことを中心に、みなさまと共有したいと思ったことを書きますね。

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ヴァンクリーフ&アーペルとは、1906年にパリで創業したハイジュエラーです。宝石を支える爪を表から見せない「ミステリー・セッティング」をはじめとした宝飾技法を次々に開発し、その技術は、「黄金の手」と呼ばれる専属職人により現在まで継承されています。

今回の京都での展示は「技を極める」をテーマに、ヴァンクリーフの作品が伝える超絶技法を、七宝や陶芸、金細工といった日本工芸の超絶技法と対比しながら紹介していく、という試みでした。いわば日仏超絶技法、夢の競演。

実はヴァンクリーフがこのようにジュエリーの展覧会をするのは初めてではなく、2012年にパリ装飾芸術美術館で「ハイジュエリーの芸術」展をおこなっているし、それに先立つ2011年にはアメリカのクーパー・ヒューイット国立デザイン博物館で「セット・イン・スタイル」展を開催しています。

Set-in-Style.jpg(Photo shared from official HP of Vancleef & Arpels)

そして2016年にはシンガポールの「アート&サイエンス ミュージアム」において、石がどのように自然界で生成されていくのかという「宝石のアートとサイエンス」展を開催されたとのこと。そして今回の京都は4年前から準備が始められていました。

なぜ、ジュエラーがこのように世界中で展覧会を行うのか?

それは、宝飾職人の高度な技術を未来に伝えていくため。

ヴァンクリーフ&アーペルが扱うようなハイジュエリーは、ただビジネスだけをおこなっているかぎり、実際に見ることができるのは一部の特権階級、あるいは浮遊層に限られます。しかし、ジュエリーを作りあげる職人はそうではありません。高度に極められた技術は継承していく必要があるけれど、職人になりたいという若い人がいない。であれば、職人希望者を増やすためにも、この仕事を、今まさに華やぎ、将来も成長が見込めるすばらしい仕事として、もっと広く知ってもらう必要がある。そのように考えたニコラさんは、学校とも協力して教育の現場でジュエリーの楽しさを広めたり、展覧会を世界中で開催したりすることを通して、より多くの人に観てもらう努力を続けているのだそうです。

「職人になりたいという若い人がいない」。日本の伝統工芸の分野や、服作りの領域でも、しばしば耳にする嘆きです。でもニコラさんの話を聞いて「なるほどなあ...」と思ったのですが、そもそも、そんな仕事があるということが「知られていない」ということも確かにあるのですよね。ジュエリーであれ工芸であれ、まずはそれが魅力的な、意義を感じられる仕事であることを「広く知ってもらう」ための行動を起こし、それを続けていくことから始めなくてはならないのかもしれません。認知度を高めることは決して大衆におもねることではなく、業界全体の現在と未来の発展につながるという指摘は、きわめて説得力がありました。

6.3.6.JPG会場には、宝飾職人が実際に使っている机の再現も。このように木をくりぬいた部分に身体を入れる。これはとても作業がしやすいはず。資料や辞書や写真やパソコンなどを360度方向に散乱させて原稿を書いている私も、これは使いたい!と思いました。どなたか事務机としてプロデュースしてください。

6.3.7.JPG窓からはパリのヴァンドーム広場が見える...という仕事場の再現風景。

(その2に続く)

アラビア流おもてなしを体験する その3

Written by 中野 香織May 10,2017

(その2より続く)何種類ものスパイシーなお茶やコーヒーをいただきながら、ほかにも多くのことを学びました。イスラム教のラマダンは一日、絶食することで知られていますが、実は本来は、「他人のことを考える」「貧しい人たちを助ける」という意味合いがあったのだということ。食べ物はできるだけ多くの人に分け与える、そのような思いをもって、食べ物に恵まれた者は絶食するのだそうです。さらに、妊婦や子供であったり、気分がすぐれない時などは、ふつうに食事をしてもかまわないとのこと。もともと、イスラム教と仏教は他者への思いやりという点で似たところがあるのだそうです。一部のテロリストが曲解して、間違ったイメージが普及していることもあるというのは、とても残念なことですね。

arab 12.JPGすでに午後も半ばの時間にさしかかろうという頃、私は気付きました。他者への思いやりにあふれるアラビア流のおもてなしの流儀に則れば、おそらく延々と引き留められることになるのだ、と。笑 タイミングを見計らっておいとまごいをさせていただいたあとも、お礼やら感想やらたくさんの写真撮影やらでひとしきり盛り上がっておりました。

arab 15.JPGそれぞれの衣装が、似ているようで、構造も素材も構成要素も全く違うものであることがおわかりいただけますでしょうか。


日本ではまだなじみの薄いムスリムの文化に、親密な雰囲気のなかで触れることができた、貴重で忘れがたい機会となりました。



さて。ここで「その1」の中でちらと書いた疑問に戻ります。いったいなぜ、アラビア文化圏に出かけたこともない、しかも政府高官の夫人などではまったくない独身の私なんぞが「在日アラブ大使夫人の会」に招かれたのか? マダム・パレスチナのマーリがこのように教えてくれました。「なぜ私たちがあなたをお招きしたのか、疑問におもっていらっしゃるでしょう? 実は、ジュンアシダの広報誌にあなたが書いていたナジワ・カラームのエッセイに感動したからなのです。こんな風に書く人ならば間違いはないと思って、必死に連絡先を調べて、大使館の方にお願いして連絡をとってもらったのです」。

najiwa 13.jpgおお、ナジワ・カラーム。なんと人生とは想定をはるかに超えたところでつながるものなのでしょうか。日本でこそあまり知る人はいませんが、ナジワはアラビア文化圏における大スターで、その名声、実力、レコードの売り上げその他もろもろの記録はマドンナをはるかに超えているのです。この大スターが実は昨年、おしのびで来日しており、ひょんなご縁からインタビューする機会をいただいた私は、アジア圏で初めてナジワに取材したばかりか一緒に屋形船で花見をしたエッセイストとなり(笑)、その成果を長年連載している企業の広報誌に執筆していたのでした。英語版もあり、英語版は駐日大使夫人に行きわたっているはずなので、そこから発見してくださったという経緯はなるほど納得。


でも読者のみなさまの疑問は続くでしょう。なぜ私なんぞがおしのびで来日した中東の大スターにインタビューできたのか?と。
4.6.6.jpgレバノン出身のナジワは、同じレバノン出身で現在ラスベガスの不動産王として活躍しているビジネスマンの友人として、昨年、ビジネスマンとともに来日していたのです。そのビジネスマンは、アメリカで活躍する日本人の女性経営者とビジネスパートナーの関係にあります。その女性経営者は私の知り合いで、私のことをとても信頼してくれている方なのです。


さらに、そもそも、なぜ私が女性経営者と知り合い、親しくなることができたのかといえば、あるパーティーの席で、彼女がラスベガスの不動産王の話を通訳するときに、あまりにも面白い意訳をしていたので私が率直におもしろい、と笑ったからです。シリアスなビジネスの話に笑う人などほとんどいません。でも本当に痛快な訳だったので、正直な私はつい笑ってしまった。そのことが、逆に彼女と私を近づけたというわけです。


つまり、心にわきあがった感情を率直に表現したことが、めぐりめぐって、中東の大スターと引き合わされるご縁を生み、それがさらにめぐりめぐって今回の大使夫人のお招きを受けることにつながった......ということになります。


いつでも心の声に正直に。フットワークはできるだけ軽く。目の前の人には少しだけでも心をオープンに。感動と感謝を伝えることを忘れずに。それが予想外の幸運を招き、人生を楽しくする(こともある)秘訣のひとつかもしれないと、不思議なご縁をふりかえってしみじみ思います。必ずしもいいことばかり起きるとはかぎらないということは常に肝に銘じておきますが。

アラビア流おもてなしを体験する その2

Written by 中野 香織May 10,2017

(その1から続く)いよいよ昼食が始まります。各国の大使夫人がそれぞれの国の家庭料理を持ちより、それを各自がブッフェ形式でいただくというハートフルなおもてなし。

arab 8.jpgお料理の手前に、どこの国の料理なのかがわかるよう、料理の名前と国名、国旗が記されたカードが置かれています。

銀のトレイに美しく盛られた料理はどれも初めて食べるものばかりでしたが、心を込めて作られたことが胃袋を通して伝わってくる、スパイシーながらとてもおいしいものでした。

arab 6.JPGスイーツはあまりの甘さに衝撃。圧巻のフルーツはすべてそれぞれの本国から空輸されたものです。これが本来の自然の味というか、「甘くない」のです。日本のように甘くするよう改良していないので、むしろさっぱりとしていて、口直しに最適でした。arab 9.JPG

料理はどれも手が込んでいてすばらしく、できれば作り方を学びたいものもありました......と思ったら、マダム・ヨルダンのシファが、日本で入手できる材料を使ったアラビア料理の本を日本語で出したいと希望しているとのこと。とてもいいアイディアだし、この超インテリ美女軍団でもあるアラブ女性たちならばユニークな料理本ができるはず。読者のなかに出版社の方がいらしたら、ぜひ、ご検討くださいませ。私まで連絡いただければおつなぎします。

さて、食事が終わって場所を移してティータイム。豪華なティーセットが用意されています。


arab 11.jpg各国によってお茶やコーヒーの淹れ方や、飲み方の作法が違うんですよね。何種類か聞きましたが、スパイスの香りに酔わされ、なにがなんだか正確な区別がわからなくなっています。メモも判読不能...。申し訳ありません。唯一覚えているのは、カップが空になると延々と注ぎ続けられるので、「もうお代わりはいりません」というときは合図としてカップを左右にふる、ということ。arab 14.JPGデモンストレーションしてくれる赤いドレスの方はマダム・パレスチナのマーリ。ピンクのドレスの方はマダム・カタールのジャミーラ。彼女たちのドレスは至近距離で見ると実に贅沢な生地と仕立てで作られていることがわかります。溜息がでるくらいの迫力なのです。

ちなみに日本女性も10人ほど招かれていたのですが、アラビア文化関係者のほかは、ほとんどが政治家や外交官の奥様でした。

お茶をいただきながら、ゲストの一人、ユニセフの親善大使でもあるアグネス・チャンさんによるお話を聞きました。シリア難民の子どもの教育に関する最新情報です。シリアの子どもたちは美しく明るい。状況がいかに困難であっても、未来の希望である子供たちに教育を授けようと最大の努力が払われていることを知りました。アグネスさんの貢献にも頭が下がる思いがします。

arab 13.JPGアグネスさんの右隣のお着物の方は、外務省中東アフリカ局参事官の高橋さんの奥様。着物地と帯にアラビアンナイトの模様があしらわれているのです。帯留めもご自分のお名前をアラビア語でかたどったもの。このような、アラビア文化に敬意を表した着物で社交するという姿勢、さすが外交官の奥様だけあるなあと感動した次第です。

(その3に続きます)

アラビア流おもてなしを体験する その1

Written by 中野 香織May 10,2017

みなさま、こんにちは。またしてもご無沙汰してしまってごめんなさい。
世界情勢が刻々と変わり、予断を許さない日々が続いていますね。攻撃や威嚇や緊張状態ばかりがニュースになりますが、生活文化やファッションを異文化に対して発信し、理解してもらおうとする努力を重ねて他国との平和な友好関係を結ぼうと行動する人たちもいます。世界の未来に明るい希望を見るためにも、今日はそのお話をいたしましょう。

ゴールデンウィークに入る直前、「駐日アラブ大使夫人の会」から昼食会に招かれました。場所はカタール大使館。なぜアラビア語圏に行ったこともない私などが招かれたのか? これについては後に大使夫人のひとりから聞かされることになるのですが、ともかくも私はアラブ世界に対する好奇心に導かれ、元麻布にあるカタール大使館をはじめて訪れたのでした。

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一歩足を踏み入れるとそこはもうアラブ世界。えもいえぬよい香りが豪華な室内いっぱいに満ち満ちて、異次元に連れていかれます。そして迎えてくださった7人の駐日大使夫人たちのエキゾティックな美しさときたら...。ヨルダン、チュニジア、パレスチナ、モロッコ、イエメン、オマーン、カタール。それぞれの国のゴージャスな衣装に身を包み、丁寧に化粧を施し、フェミニンの極みのような香りと笑顔で迎えてくださったのです。西洋の方はしばしば日本と韓国と中国の区別をつけにくいとおっしゃいますが、私にしても、この時点では上にあげた各国の区別がまったくついていません。でも、服装も全く違ってそれぞれの文化ならではの特徴やルールがあるし、食文化やお茶の飲み方にも違いがあります。ひとりひとりと話をしてみて、ようやくおぼろげに感覚的に違いがあるようだ......とわかりかけてきた程度。

arab all the ladies.jpg今回もてなしてくださった大使夫人たち。左からマダム・ヨルダンのシーファ、マダム・イエメンのジャミーラ、マダム・チュニジアのウィダッド、マダム・パレスティナのマーリ、マダム・モロッコのファティハ、マダム・オマーンのアビール、そしてマダム・カタールのジャミーラです。


さて昼食の前に次々にプレゼンテーションがおこなわれます。まずはアラビア流のおもてなしの解説。アラビア流のおもてなしはお香から始まるということ。そして基本はゲストに自宅にいるようにくつろいでもらうようにすること。見知らぬ人でも宿に困っていたら泊めてもてなし、3日目にようやく職業を聞くのだとか。

そして次なる話題は、「アラブと日本の類似点」。シルクロードを通って日本とアラブが交流してきた歴史の簡単な解説と、その結果としての類似品や、よく似た習慣の指摘がおこなわれます。シルク、お香、真珠、コットン。ゆべし、七味スパイス。モザイク、アラベスク文様、青い陶器、青海波モチーフ、ステンドグラス。長持ち、押し入れ、竹天井、土壁、和式トイレ=アラビックトイレ、ゴザ、すだれ。三味線、温泉、布団、おちょこ......。実に多くの類似点があることを豊富な写真スライドで見せていただきました。このプレゼンをおこなったのはヨルダンのシファさんですが(下の写真の右から2番目、グレーのドレス)、彼女はたいへんなインテリだなと感じたら、なんと理工系の大学院を出ていらっしゃいました。ほかの大使夫人も、大学院卒が多いとのことです。



さらにアラビア式インセンスのつくり方ともてなし方。水に香りづけもするんですが、その具体的なやり方をデモンストレーションしていただきました。マダム・イエメンのジャミーラがまとうドレス(ゼンナと呼ばれる)は金糸銀糸を使った豪華な服地で作られた精巧なもので、ヘッドピースはオスバと呼ばれ、既婚婦人が着用するのだそうです。イスラム教では基本、夫以外の男性に髪や肌をできるだけ見せないことになっていますが、「必ずしも義務ではない」とのこと。

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ひととおりアラブ文化の概要を学んでからランチテーブルへ。席順は、折り紙で選びます。マダム・オマーンのアベールが折ったカラフルな鶴の折り紙から一羽を選ぶ。それと同じ鶴が置いてあるテーブルへ着く、という仕組み。このやり方、公平感もあり、素敵ですね!

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さて、食事が始まります。(次の記事へ続きます。)

「3.0」時代にビジネススーツは何色になっているのか

Written by 中野 香織March 01,2017

みなさま、こんにちは。3月に入りました。就職説明会が本格的に始まり、黒いリクルートスーツ軍団を目にする季節でもあります。

毎年、あちこちで書いたり話したりしていることですが、これは21世紀に入って生まれた、日本独自の光景です。マニュアルに従いたい大学生。作りやすく売りやすいものをわかりやすく販売したい量販店。両者の思惑がみごとに合致して生まれた、特異な流行です。

それでも就活時だけの現象かと思っていたら、そうではないのですね。

NewsPicksの編集長でもあられる佐々木紀彦さん著『日本3.0』(幻冬舎)という本のなかに、驚きの服装指南がありました。


念のためお断りしておきますが、この本じたいは、とても真摯な思いから書かれている良い本なのです。明治維新から敗戦までの「日本1.0」、敗戦から現在までの「日本2.0」に続く、これからの「3.0」時代を生き抜くための現状総整理と未来への提言。なによりも、世界で闘っていくためには「教養」が必要と説き、後半はかなりその点が強調されているところに、頼もしさを感じます。

引っ掛かりを感じたのは、外見の大切さを説く箇所なのです。ほんの少しですが服装指南もなされています。そのなかにこんな記述がありました。

「『プレゼンのときは、黒いスーツを着る』など基本作法をおさえているかどうかで、相手への説得力が変わってきます」。(『』内は黒字で強調されています)

今の日本ではそういうことになっているのですか?? ビジネスのプレゼンの現場を見る機会も少ないので、「黒いスーツが基本作法」という言い切りにひるんだのですが。

百歩譲って、日本ではそうなっているということを受け容れましょう。でもこれは「グローバルに闘えるビジネスマン」としての心得を、おもに30代の方に向けて説いている本。とすれば、世界のビジネスの現場では黒は避け、ネイヴィーかダークグレーを着る、というのが一応のスタンダードになっていることくらいは、書き添えていただきたかったところです。

職種においても若干、異なりますが、現在のグローバル基準においては、黒は喪服、フォーマルなパーティー、あるいはトップモードとして着られる色で、ビジネスでは好まれません。

もちろん、法律があるわけでもないし、日本ではこれが主流だから黒でいいんだ、と通すならば、それもいずれはスタイルとして認められていく可能性もなきにしもあらず。(スティーブ・ジョブズのように、そもそもスーツを着ないということだって、貫き通せば「スタイル」になりえます。)

しかし、そこまでのスタイルを確立していない30代の方は、もし世界で闘おうとするのであれば、やはり現在のグローバル基準を、それこそ「教養」として押さえておくことをお勧めします。そのうえで、自分は何を着るのかを戦略的に考えることができればいいですね。(グローバル基準を知ったうえで、あえて日本流の黒で通すのも、結果をすべて引き受けるという覚悟の上であれば、よいと思います。)

銀座の老舗、高橋洋服店の高橋純さんの著。『「黒」は日本の常識、世界の非常識』。

フィクションとはいえ、やはり現在のビジネスマンの服装の参考にもなる、絶大な人気のアメリカのドラマ「スーツ」。弁護士事務所に勤務する主役の2人は、昼間のビジネスにおいては常にネイヴィーかダークグレーを着ています。

suits drama.jpgそもそも日本におけるビジネススーツの「基本作法」において「プレゼンには黒」ということになっているのだとしたら、就活生がそれにならうのも仕方がないことですね。

無理強いはしません。黒を一着もっていれば、冠婚葬祭にも使えるし、何よりも今の日本においては「みんな一緒」なので悪目立ちしないでいられる、という言い分も理解できるのです。それでもなお、世界で闘おうという志を掲げるビジネスマン、そして世界での活躍を視野に入れる就活生には、少しの勇気を発揮して、狭い視野の中の右ならえではなく、意志ある選択をしていただきたいと思っています。

就活生のみなさまのご健闘を、心より応援しています。

30年前のお宝で「初心」を思い出す~「卓越する」という回答

Written by 中野 香織January 06,2017

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、断捨離して古いものをどんどん捨てていくと新しいものが入ってくる......という言説が世間では大手を振って流通していますね。しかし、それは歴史家にはあてはまらないことがあります。世の中からはまっさきに捨てられそうな古いものをとっておくことで、それが後に新しいインスピレーションの源になったりします。

たとえば、昨年末、といっても一週間ほど前のことですが、〇十年ぶりに倉庫の資料を整理しておりましたらば、1987年(ちょうど30年前ですね)2月にロンドンからエアメイルで届いた大きな茶封筒がでてきました。

Mary Quant 1.jpg差出人はマリー・クヮント社。中には同社の当時のプレスオフィサー(広報担当)ルイーズ・バーネット氏からの手紙と、

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クヮントに関して書かれている文献リスト、同社のプレス資料、およびロンドン・ミュージアムの「マリー・クヮントのロンドン」展カタログ2種類。つまり、今ではほぼ入手不可能と思われる貴重な資料が同封されていました。

img070.jpg30年前。文学部をいったん卒業してから訳あって学士入学した教養学部の「イギリス科」というところで卒業論文を書くにあたり、テーマに選んだのが、「マリー・クヮントのミニスカートと1960年代のイギリス社会」でした。今のようにインターネットもなく、ましてやアマゾンもなく、同時代に発売された洋書を手に入れるのも一苦労という時代。マリーのことが書かれた文献を遠回りして探すより、いっそ思い切って同社に聞いてしまうのが確実であろうと考えた私は、マリー・クヮントご本人あてにその旨を手紙で書き、ご助言を乞うたのでした。受け取ったお返事が、こちらの期待をはるかに超える、上記のような資料だったというわけです。

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たしか、この茶封筒が届いたのが締切直前あたりで、論文には上記の資料を完全には反映できなかった記憶があります。それでもなんとかかき集めていた資料をもとに書き上げたのですが、教授陣(おもに英文学における「権威」と呼ばれる方々がずらりと揃っていました)から、賛否まっぷたつのコメントをいただきました。「前例がなく荒削りだが、新しいことにチャレンジするガッツは買いたい」という好意的な少数の感想と、「ファッション、しかもミニスカートのような軽薄で表層的なテーマはアカデミズムで扱うにふさわしくない」という旨の、圧倒的多数派の否定的意見。今から思えば、とりわけ、その中のお一人からあからさまな嫌悪感を表明されたことが心に「傷」(かすり傷ですけどね!)として残っていて、だからこそ、「そうではないことを証明いたしますから、しばしお待ちくださいませね」(←その時の心中を100倍ほど丁寧にした言葉で書いています)という闘志がわいたんですよね。人生を賭けるほどの情熱を感じていたわけでもなく、そこでやめてもよかったのです。ぬるい是認ばかりだったら、そこそこ満足してやめていたかもしれません。でも、「アンチ」さんがきつい言葉を放ってくれたおかげで、ここでやめるのは負けに等しいから、せめて「一勝」を実感できてからやめよう、と思ったのです。「アンチ」さんの存在が、実は意外に大きな前進のエネルギーになってくれるということは、その後もしばしば経験しました。

目の前で否定的な意見を公言してくれる「アンチ」さんはまだいい。その後、手探りで奮闘するなかで名前がメディアに出るようになると、とんでもなく卑劣で下品なやり方で足を引っ張ろうとしたり、貶めたりしようとする輩にもしばしば遭遇しました。理不尽ないじめにあうのと同じようなもので、心に鉛を落とされたような気持ちになりますよね。生きる力すら削がれるような思いをしたこともあります。しかし、攻撃を避けようとして仕事を控えるのは、向こうの思うツボにはまるだけ。かといって同じレベルで反撃しても自分がそのレベルに落ちるだけ。そんなときこそ、意地でも満面の笑顔と優雅な態度を保ち、悔しさや怒りを仕事のエネルギーに変換して、仕事の質を高め、その量を確実に積み重ねていくことに専心しました。振り返ってみると、圧倒的な差がついていた。「アンチ」さんこそが、私を後押しし、前進させてくれたというわけです。笑



ミシェル・オバマ氏が、2016年の4月に、ジャクソン大学の卒業生に向けておこなったスピーチは、理不尽な差別や憎しみ、偏見に対していかに闘うべきかについてのパワフルな指南も満載なのですが、とりわけ強く共感し、繰り返し聞いている一節があります。

"Excellence is the most powerful answers you can give to the doubters and the haters. It is also the most powerful thing you can do for yourself, because the process of striving and struggling and pushing yourself to new heights --- that's how you make yourself stronger and smarter and able to make a difference for others." (「疑いを向ける人、憎しみを向ける人に対してもっとも効力を発揮する答えは、卓越すること、なのです。それは、あなた自身にとっても、力を発揮します。なぜなら、努力し、奮闘し、あなた自身を新たな高みに押し上げるという過程、その過程こそが、あなた自身を強くし、賢くし、他の人たちと違う価値をもつ存在にするのですから」)

ミシェルのスピーチは、こちらです。上記のメッセージは18:00 あたりから。

30年前の、ぼろぼろになりかけた茶封筒は、ファッション史研究をはじめた頃の、忘れかけていたそんな「初心」も思い出させてくれました。偏見や悪意、嘲笑とも闘いながら、淡々と続けているうちに、まったく予想もしなかったことをしていたり(それはそれでエキサイティングでありがたいこと)、「私はいったい何をしているんだろうか?」と迷子気分になることもありました。でも、原点を思い出すことで、「この先」を考えるときのひとつの指針がはっきりしました。2008年のリーマンショック後に各ブランドが「アーカイブ」を見直したときとか、フランス革命で秩序が破壊したときに、ヨーロッパの人々が古代ギリシア・ローマを見直す「新古典主義」に向かったときも、このような感じだったのでしょうか。迷ったときの原点。断捨離しないことで、原点が見つかるというよいこともありますね。古いものを捨てなくても、視点を変え、心の容量のほうを広げていけば、新しいものはいくらでも入ってくるものです(物理的な容量に関しては、悩ましいかぎりですが)。


さて、マリー・クヮント関連のなつかしい資料を見直しているうちに、2013年に日本でも翻訳が出たクワントの自伝を開きたくなってきました。長らく積読状態にしていた本ですが、脳内がクヮントに新たな刺激を受けた勢いで一気に読了。これについては次回に。

権威・反逆・アート~スーツが秘める無限の可能性~

Written by 中野 香織December 29,2016

2016年もいよいよ終わりに近づいて来ました。今年最後の記事になるであろう本欄では、「スーツ生誕350周年」だった今年をしめくくるにふさわしい本をご紹介したいと思います。


Christopher Breward, "The Suit: Form, Function & Style" (Reaktion Books)です。著者のブルウォード氏は、エディンバラ大学の文化史の教授で、"Fashioning London", "The Hidden Consumer"ほか多くのファッションに関する研究書を発表しています。

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チャールズ2世の「衣服改革宣言」により1666年に誕生したスーツという男性服のシステム。サヴィル・ロウのイングリッシュ・ジェントルマンやウォール・ストリートのビジネスマンを筆頭に、伝統・男らしさ・品格・権威・信頼、といった体制側の価値を是認するお約束の服として、世界中の男性がスーツをまとってきました。

一方、そうした権威や「らしさ」を破壊したい、抵抗したいと願う反体制側の男女も、まさしくスーツによってその抵抗を表現してきました。マカロニ、ダンディ、ズートスーツ、モッズ、ル・スモーキング、サプール......。同じシステムを使うからこそ、その批評性も影響力も大きくなります。

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本書は、そんな相反する表現力をもつスーツの350年間を、多角的な視点から論じたアカデミックな書です。スーツをめぐるありとあらゆる歴史的な事例と現在の事象を網羅してあることにも心躍るのですが、99枚のバリエーション豊富な写真とイラストに何よりも感動します。しかも各絵柄が贅沢にも1ページまるごと使って掲載されているのです。英語の本を読むことが難しいと感じる読者の方も、スーツの世界がかくも豊饒であることを、写真や絵画から感じ取ることができるでしょう。

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アートとしてのその表現力も無限であるように見えます。リチャード・ジェームズがアーチストのスペンサー・チュニックとコラボした「裸のスーツ」こと透明なスーツ(2009)や、アレキサンダー・マックイーンによるダークで耽美的な半壊スーツ(2009)、アイク・ウデによる「サートリアル・アナーキー」(2013)には思わず見入り、夢想に走ってしまうほどの磁力があります。

議論としてとりわけ興味深かったのは、第2章の「スーツを着る国家(Suiting Nations)」。インド、中国、日本、コンゴにおける「スーツ化」がいかに進んでいったのかという話なのですが、なかでも日本の話は、半ばこそばゆいような思いで読みました。

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1872年の勅令による洋装化⇒1920年代と30年代の「モボ」と「モガ」⇒戦後のアイビーとブルックスブラザーズ⇒みゆき族⇒「サラリーマン」が制服のようにダークスーツを着る⇒1970年代以降の前衛デザイナーによる、端正で地に足の着いた西洋的スーツの対極にある非対称の「ぼろ」ルックの登場。こうした日本の服飾史を、イギリスの文化史研究者の視点からおさらいすることができます。

さらに、1980年代、90年代に建築家や映画監督、広告関係者が、首元まできっちりととめた白いシャツとともに好んで着た「ジャパニーズ・デザイナーズ・スーツ」は、サヴィル・ロウの「英国らしさ」にはない洗練を宣言するものだった......という指摘には、なるほどそういう見方ができるのかと納得。

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古今の世界中のメンズウエアを、新たな視点で見直すことができる知的な一冊。よろしかったらホリデーシーズンの読書リストに加えてみてくださいね。


今年もご愛読いただき、ありがとうございました。みなさま、どうぞ佳いお年をお迎えください。

グレーゾーンを操るピンク・ジャケット

Written by 中野 香織December 06,2016

みなさま、こんにちは。ちょっとご無沙汰してしまいごめんなさい。12月に入りましたね。

スーツ生誕350周年に沸いた2016年を締めくくるにふさわしい服飾展覧会が開催されます。「半・分解展」、12月8日(木)~12日(月)。京都、名古屋での成功に続き、東京では渋谷区のギャラリー大和田で開かれます。主催は本ブログでもご紹介したことのある長谷川彰良氏です。博物館であれば手袋をはめて管理される貴重なヴィンテージの服を、まだ20代の長谷川氏が私財を投げ打って購入、鋏を入れて分解してしまったという前代未聞の展覧会です。師走の慌ただしい時期ではありますが、11日には私も講演しますので、お気軽に覗きにいらしてくださいませ。


さて、冒頭から宣伝めいて恐縮でしたが、今日は、その半・分解展でもひときわ目立つ、真紅のジャケットをめぐるお話をしましょう。このジャケットです。(半・分解展では、このように、半身が分解され、服の構造がわかるように展示されています。)

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袖の裏地はこのように手首ですぼまるようになっています。雨風を袖口から入れないための工夫ですね。つまり、屋外用の上着であったことがわかります。

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この赤い上着は、キツネ狩り用の上着です。キツネ狩りの際に、狩猟者、猟犬係(ハンツメン、マスターズ、ウイッパーズ・イン)らが着用したもので、別名、「ハンティング・ピンク」と呼ばれます。

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(The huntsman and hounds exiting Powderham castle for a hunt. 2005.@Owain Davies)


キツネ狩りとは、イギリスにおいては中世から続く紳士の「スポーツ」です。馬に乗った複数の人が、猟犬の集団にキツネを追いかけさせ、かみ殺させるという野蛮な「娯楽」。キツネが羊を襲う「害獣」としての一面ももつため、その数を抑制するという大義名分のもと、カントリーでは多くの人々を巻き込みながら、生活に密着した伝統として行われてきました。

hunting pink p.jpg(By Philip Reinagle (1749-1833), Engraved by J Scott. Wikimedia Public Domain)


キツネ狩りの絵を見ても写真を見ても、また現存する実物を見ても、ジャケットの色は真紅です。しかるに、なぜピンクと呼ぶのか? それは、18世紀にこの上着を作っていた伝説のテイラー、トマス・ピンクに由来するという説が有力です。ピンク氏が作った上着なのでピンク・ジャケットというわけです。(もう一説、赤い上着が風雨にさらされるうちにピンクに近くなってくるためこのように呼んだという説もあります。)


現在、ロンドンのジャーミン・ストリート発のシャツメーカー、トマス・ピンクというブランドがありますね。1984年にアイルランドのマレン三兄弟が興した会社で、現在はLVMHグループの傘下にありますが、ブランド名はまさしく18世紀のテイラー、トマス・ピンクからとったものです。ブランドのロゴマークは、テイラードジャケットを着るキツネです。


さて、そのように長い伝統をもち、イギリスのメンズファッションを考えるときにも避けては通れないキツネ狩りですが、実は2004年に、トニー・ブレア政権の下で禁止法案が成立し、翌年から施行されています。


禁止を支持したのは、下院の労働党議員、そして都市近郊に住む、動物愛護の意識が高い人々。一方、地主階級は存続を主張しました。実際、キツネ狩りによって派生する仕事で生計を成り立たせている人々もいるわけですから、地方の一部の人にとっては存続は死活問題だったのです。


両者は互いに一歩も譲らず、当時の労働党政府は、半ば強引な形でキツネ狩り禁止法案を成立させたのでした。


しかし、そこはしたたかなイギリスの支配者層です。この法案には、たくさんの抜け道が残されていたのです。条件付きで許可される例外をいくつか設定しました。それをうまくクリアしていけば、(極端に言えば、)狩猟服を着て馬に乗り、犬を走らせるだけで、実際にキツネを殺している現場が目撃されなければ、これまで通りでよいというわけです。結果として、「キツネ狩り」は相も変わらず行われており、真紅の上着、ハンティング・ピンク姿も、目にされなくなったわけではないという次第。

それどころか、毎年、ボクシングデー(クリスマスの翌日)には各地で大々的に、ドラァグ・ハント(drag hunt =擬臭跡を利用して犬を駆り立てる遊猟) なるものがおこなわれていることが報道されております。こちらは、昨年のマンチェスターのボクシングデーの光景。

Boxing day meet.jpg

(The traditional Boxing Day Meet of Cheshire Drag Hunt at Dean Row, Wilmslow. 


禁止しておきながら、同時に、完全なる禁止というわけでもない。このタヌキおやじ的な現実的妥協、これぞグレーゾーンを巧妙にあやつるイギリス紳士的なやり方ではありませんか。


秋冬のカントリーを駆けぬける真紅のハンティングジャケットの集団。分解された実物を見て、テイラリングの技術のみならず、その服をめぐる当時の人々の生活や感情に思いを馳せ、またイギリス紳士の伝統の野蛮なる一面を考えてみるのも、味わい深いものです。


<半・分解展インフォ―メーション>

12月8日(木)~12日(月)  開場10:00~閉場21:00  ※初日 8日(木)14時開場  最終日 12日(月)18時閉場

場所・ギャラリー大和田
住所・東京都渋谷区桜丘町23-21 渋谷区文化総合センター 2F
電話・ 03-3464-3251 入場料・1000円 

メンズ仕様のスーツを仕立ててみました

Written by 中野 香織October 10,2016

ドレスアップの秋がやってきました。あちこちでファッションイベントが開催されております。メンズに関しては、今秋はとりわけ、テイラードスーツの勢いがあるように感じます。スリーピーススーツも多く目にするようになりました。

さて、これまでさんざんテイラーやスーツブランドの取材をしてきたにもかかわらず、私は自身でスーツを仕立てたことがありませんでした。テイラーの多くが「女性のスーツは作らない」と公言していることもありますが、私自身がパンツスタイルを避けていたためでもあります。ただでさえ骨太の男顔なうえに脳内も男に近い。パンツスーツなど着ると、まんま男性で通用しかねません。せめて外見だけは「女装」しておいたほうがいいんじゃないかという遠慮もあって、マニッシュな服装には手を出さなかったのです。



しかし、ある大きなメンズファッションのイベントでトークショウに登壇するに際し、主催者側から「できればスーツを着用してください」という要望がありました。これはきっと天の声、もう逃げるわけにはいかないなというわけで、ビスポークスーツの世界に足を踏み入れることにしたのです。今日はその「初めてのビスポーク」のプロセスのご紹介です。

通常のフルオーダーであれば少なくとも3か月以上は必要ですが、イベントまで3週間ちょっと。女性用のスーツを仕立ててくれて、なおかつ3週間で制作を完了してくれるテイラーを探すことから始めました。知り合いの紹介で、東京・蒲田にアトリエを構える「アトリエサルト」の廣川輝雄さんにたどりつき、お願いすることにしました。

まず一回目の訪問。用途や好みを説明し、生地を選び、採寸します。
suit 1.jpgさんざん悩み、選んだのは、ネイヴィーに2.5cm幅のブルーストライプ。サヴィルロウのホランド&シェリーのスーパー130。この幅のストライプは「ザッツ男の模様だな」と漠然と感じていたこともあり、ゆえにトライしてみることにしました。
suit 19.jpg極右なメンズ服地ですが、これをモダン&シャープなイメージで、かつ、シルエットにはフェミニンな印象も感じられるように作ってほしい、とオーダーします。超特急で作らせる上、無茶ぶりすぎるだろう!という無謀な注文にも、廣川さん「わかりました」とにこやかにうなずく。



そして一週間後、第一回目のフィッティング「仮縫い」に行きます。この段階では、上で選んだ服地は使わず、ピン刺しによる傷みを気にしなくてよい仮の服地で作られたものを着てみます。そしてサイズ調整をしながら、ピンをばしばしとさしていきます。

suit 26.JPG

このフィッティングをもとに、型紙を作製し、本番の服地を使って裁断していくわけですね。あわせて裏地やボタン、ベントやポケットなど、細部のことをひとつひとつ、話しあって決めていきます。suit 30.jpgそうして少しずつ形になっていくその進行具合を、翌日から、廣川さんが写真でフェイスブック上に報告してくれます。完成形に近づくにつれ、ドキドキが加速していく。待ちながら、インナーやVゾーン、手元をどうしようか、などとあれこれ想像をめぐらす。そのように期待しながら「待つ」過程に、おそらく、ビスポークの醍醐味があるんでしょうね。

さらに一週間後、第二回目のフィッティング、「中縫い」のために訪れます。この段階では、選んだ服地を使って縫い上げたものを着てみます。袖まわり、肩、襟ぐりなどを中心に、ミリ単位で調整を進めていきます。suit 29.jpg裏地はベンベルグ。鮮やかなローズピンクのストライプ地を選びました。ポケットのフラップの裏にも丁寧に裏地があしらわれています。背中のベントからは、動くとちらっとピンクが見えて、なかなかセクシー。ルブタンの赤い靴底に似た効果があるような気がします。suit 33.jpgトラウザーズは総裏で、ジャケットの裏地よりも一段淡いピンクのベンベルグです。履いてみると、滑らかで官能的な肌ざわりを堪能できます。蒸し暑い日でしたが、さらさらとした心地よさがずっと続く感じ。この感触を味わうためにヘビロテしそうな予感。
suit 31.JPG
そして10日後、いよいよ完成品を受取りに行きます。
suit 20.JPG

しかし着てみると、脇のあたりが若干、大きめに感じられる。イベントまであと2日しかありませんが、廣川さんはこの部分をすっきりさせるべく、もう一度裏地をはずして縫い直してくださるとのこと。ほんの1,2センチのことなのですが、その微調整で見た目が大きく変わってくるんですね。

suit 34.jpgボタンは黒蝶貝。遠目にぱっと華やかに見えるボタンです。



そしてイベント前日、ようやく完成品を受取りました。裏地の残りで、ポケットチーフも作っていただきました!

suit 35.JPG

いよいよ当日、スーツデビューです。実は公の場でパンツスーツを着用するのは初めてのこと。メンズライクにシャツを着る予定でしたが、この日は気温が上がり、とてもじゃないけど暑くてシャツは無理。男性のみなさまはよくぞこの試練に耐えていらっしゃるものだ......と頭が下がります。

suit 28.JPG白いウエストコートにスカーフを合わせ、首元・手首・足首はフェミニンにしてみました(往生際が悪い)。少し気温が下がったら、フェアファクスのタイを合わせて、よりメンズライクな感じで着てみたいと思っています。suit 27.JPGすべて手縫いの丁寧な仕事で、体型さえ変わらなければ(ここ、重要)、末永く愛着がもてそうな美しいスーツを仕立ててくださった、廣川さん(左)。ありがとうございました!



ことほどさように、スーツ一着仕立てるのには、時間もお金もエネルギーもかかります。でも、作ってくれた人の顔がわかるというのは不思議な安心感を与えてくれるもので、作るまでに経験したコミュニケーションは、スーツに対する愛情と信頼に変わります。テイラーにしても、誰の服を作っているのかがわかることは、仕事のやりがいにつながるそうです。ギャラはすべてお仕立て代に投資した形になりましたが、今後、トレンドに煩わされず、バリエーション豊かに長く着続けていけること、ぴたりと身体にあう服が作り手にとっても着る側にとっても、幸福の実感をもたらすことを思えば、とても有意義な投資なのではないかと思います。早く安く手軽に入手できて大量に捨てられるファストファッションがもたらす弊害が地球環境に悪影響を及ぼしていることが問題になっている今、心の通う、作り手の顔が見える服の重要性は、これからひときわ、脚光を浴びていくのではないかと思います。服だけじゃなく、食べ物も、建築も。

なによりも、長年メンズファッションのことを書いてきた自分自身が、ようやく、今さらながら、ビスポークスーツの力を身をもって実感しているのです(ほんと、遅すぎ)。このパワースーツが、今後の研究の方向を導いてくれることを祈りつつ、しばし、身を委ねてみたいと思っています。

紳士の国の秘儀的なルール

Written by 中野 香織September 20,2016

みなさま、こんにちは。

9月1日にBBCで、気になるニュースが報じられました。ロンドンの金融街に就職しようとする労働者階級出身の若者が、面接に茶色の靴を履いていけば不採用になる可能性がある、という報告書の内容です。シティこと金融街は、伝統的に「ジェントルマン階級」と呼ばれる一部の特権階級が支配してきた世界。ここにおいて「ノー・ブラウン・イン・タウン」(シティではスーツに茶色い靴を履かない)をはじめとするいくつかの秘儀的な紳士の掟を知らない者は、排除される可能性が大きいことを報道されたのです。こちらです。

簡単に要旨を紹介します。

❝ロンドンの金融街にはいまだにエリート主義が根強く残り、ごく一部の特権階級やオクスブリッジ(オクスフォード大学とケンブリッジ大学)出身の者のみが了解している「秘儀的な掟」によって、頭脳明晰で聡明なワーキングクラス出身の若者を締めだしている。

「秘儀的な掟(arcane culture rules)」は話し方、アクセント、服装、ふるまいにおよび、たとえば服装においては、「ビジネススーツに茶色の靴を履く」「派手なタイを合わせる」など「洗練されていない」装いで面接に臨めば、いかに能力が高くても採用されることはない......❞

BBCの記者は、「出自や教育に関わらず、能力のある若い人が金融界でも成功できるように望みたい」と正論で締めくくっています。7月に就任したテリーザ・メイ首相も、就任演説で社会の不平等に言及し、「イギリスを少数の特権階級ではなく、すべての人のための国にします」と語りかけたばかり。イスラム教徒サディク・カーン氏がロンドン市長になるほど多様化が進む現代においては、特権階級による意地悪としか見えないこのような不平等など捨て去ってしまったほうが、よほど国益にかないましょう。

しかし。正論は正論としてもっともなのですが、このような時代錯誤的な意地悪というか排他主義こそ、伝統的な「ジェントルマン階級」の文化を連綿と守ってきた要素でもあることを、今一度、思い知らされたのでした。

アメリカでは「ガラスの天井(Glass Ceiling)」を破るべく、ヒラリー・クリントンが健闘しています。イギリスにおいてはガラスの天井よりもむしろ、クラスの天井(Class Ceiling)のほうが堅牢であるように見えます。

FullSizeRender (15).jpg                                                       (Beauliful Shoes made by Yohei Fukuda)

ちなみに、茶色の靴をビジネススーツに合わせるというのはイタリアでは普通に見かけますし、他国でも「面接で履いてきたら不合格」となるほどの縛りはありません。「ノー・ブラウン・イン・タウン」の掟は、伝統的なジェントルマン階級が支配する、ロンドンのシティのみです。では、なぜシティで茶色の靴はだめなのか? 

さかのぼると、ボー・ブランメル(1778 -1840)に行きつきます。黒いブーツをシャンパンで磨いていたという伝説を残すブランメルは、茶色い靴はカントリーで着用する靴であるというルールを定着させ、ロンドンにおいては「ノー・ブラウン・イン・タウン」「ノー・ブラウン・アフター・シックス」の原則を広めていきます。19世紀初頭、社交界に君臨し、当時の国王ジョージ4世(摂政時代)よりもファッションにおける影響力をもった彼は、エリートが集うジェントルメンズ・クラブのひとつ「ウォティア」に入会を希望するナイーブな田舎紳士を拒否するために、こんな理由を挙げています。「彼らのブーツは馬糞と粗悪な靴墨のにおいがする」。

dandy club.jpg(ブランメルがプレジデントをつとめた「ダンディ・クラブ」ことウォティア(Watier's)。1818年ごろの風刺画。Photo from Wikimedia Public Domain)

ブランメルは、靴ばかりか、ジェントルマンの装いのルールや美意識、振る舞い方すべての源流となる方ですが、自分よりも社会的身分においては「上」であったはずのカントリー・ジェントルマンでさえ、このような理不尽な理由をつけてクラブから排除しようとしたのです。なぜ「排除」しなくてはならなかったかに関してはブランメルの出自から始まる長い話になり、拙著『スーツの神話』をご参照いただければ幸いですが、ともあれ、イギリス発の紳士の装いのルールの根底には、常に「排他主義」が匂うのです。


その後、1930年代前後には、エドワード8世(のちのウィンザー公)が、ネイビーのスーツに茶色の靴を合わせるという「ルール破り」をしたことが話題になりました。ルール破りが許されるのは彼が王室のメンバーで別格の洒落者だったから。その後、「ノー・ブラウン・イン・タウン」のルールは静かに根強く残っていたようで、2016年の9月の時点において、いまだにそのルールによる排他主義がニュースになる次第です。

良いか悪いかという問題は別として、異国の部外者が憧れるイギリス的な要素の多くは、やすやすとは入れないジェントルマンズ・ワールドから生まれたものであることも確かです。どうしても太刀打ちできない権威に対する絶望と、それゆえに生じる憧れ。「ジェントルマンズ・ワールド」は、根拠の曖昧なルール、その根底に潜む排他主義、そして現実との絶妙なブレンドでできています。

Blogger

中野 香織

エッセイスト/服飾史家/
明治大学特任教授

吉田 秀夫

”盆栽自転車” 代表

長谷川 裕也

"BOOT BLACK JAPAN" 代表

山本 祐平

”テーラーCAID” 代表

慶伊 道彦

”FAIRFAX” 代表取締役

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