FAIRFAX COLLECTIVE &ease fairfax 胸元CLUB

BLOG

中野 香織

中野 香織

エッセイスト・服飾史家・明治大学特任教授

ファッション=時代と人を形づくるもの、と位置づけ、
過去2000年分の男女ファッション史から最新モード事情にいたるまで研究・執筆・レクチャーをおこなっている。
新聞・雑誌・ウェブなど、多メディアにおいて執筆しつづけて30年を超える。

祝:スーツ生誕350周年

Written by 中野 香織April 08,2016

あっという間に桜も終わろうとしておりますが、みなさまお健やかにお過ごしでしょうか。
しばらく間があいてしまい、ごめんなさい。
5月発売の新刊の最後の詰めにエネルギーと時間を注ぎ込んでおりました。
タイトルは『紳士の名品50』(小学館)。
紳士になりたいあなた、すでに立派な紳士であられるあなた、パートナーを紳士に育てたいあなた、あるいは紳士など無関心だけどたんにモノ好きのあなたのために選んだ名品50を、エッセイとともにご紹介するカラフルな本です。装丁やブックデザインも、思わず、ふふ、と笑みがこぼれそうな洒落た本になります。もちろん、名品50の中にはフェアファクスのネクタイも入ってますよ。
どうぞお楽しみに!4.6.11.jpgさて。あちこちで話しているのですが、いっこうに盛り上がらないので、こちらでも声を大にして申し上げます。

今年は、スーツ生誕350周年という記念の年です。

350年ですよ? 次の節目まであと50年。もう生きてない可能性大です。であれば大きな節目である今年のうちに、メンズファッション愛好家および関係者のみなさま、そうでなくても日頃スーツのお世話になっている男性のみなさまは、盛大にお祝いをすべきではありませんか?

お祝いイベントの計画を立てる前に、まずは、350年前にいかにしてスーツが誕生したのか、おさらいをしてみましょう。

時は1666年10月7日、舞台はイギリス。
この日、英国王チャールズ2世が、衣服改革宣言を発しました。
「余は新しい衣装一式を採用することにした。この衣装は、もう変えることはない」
この宣言により、宮廷服が一新され、男性のスリーピーススーツの祖先が誕生しました。

ピープス.jpg(根拠となるサミュエル・ピープスの日記。1666年10月8日付。「昨日のこと」として衣服改革宣言を記録する。「ヴェストが導入される。これは貴族に倹約を教える服になる」と。The Diary of Samuel Pepys. Vol.VI.  George Bell & Sons, 1904)

とはいっても、上着の丈は長いし、下半身はブリーチズ(半ズボン)だし、長髪のかつらはかぶっているし、ハイヒール履いてるしで、現在のスーツのイメージとは似ても似つかないのですが。

ポイントは、スーツのシステムにあります。この日、ヴェストが導入されることによって、上着(コート)+ヴェスト+下衣+シャツ+タイという構成要素からなるイギリス発のスーツのシステムが誕生したのです。

charles II suits.jpg

(King Charles II with English statesman and writer Mr. William Temple, by Mr. J Parker)

それ以前はいったい何を着ていたのでしょうか。イギリス服飾史の古典、アイリス・ブルックのイラスト本を参考にしてみましょう。1650年から1660年の流行スタイルのページです。胸元にも手元にもレースをたっぷりあしらい、丈の短いジャケットからはシャツがあふれだし、リボンやファーも多用しています。帽子、袖口、さらにはカールした髪にいたるまでリボン。

English costume 1650-.jpg
english costume 1650 2.jpg    (Iris Brooke, English Costume of the Seventeenth Century. A.&C.Black, Ltd. 1934)

上のカラーイラストの男がとりわけお洒落な男だとすれば、もっと一般的な男の描写が下のモノクロのイラストの男たち。いずれにせよ、丈の短い上着からシャツがあふれだしていますし、レース使いも過剰、ブリーチズ(下衣)のボリュームもたっぷりすぎるように見えます。

それが、1666年のチャールズ2世の衣服改革宣言の後、次のようになります。1670年から1680年のスタイルのページ。下に着ているヴェスト(当時の新アイテム)も、上のコートも、丈が身体に沿って長くなっているのがおわかりでしょうか。上のスタイルと比べると、全体の印象は、はるかにすっきりとシンプルになっています。

english costume 1670.jpg   (Iris Brooke, English Costume of the Seventeenth Century. A.&C.Black, Ltd. 1934)

ではなぜこの時期に、チャールズ2世は衣服改革宣言をおこなったのでしょうか? 

ごくかいつまんでいえば、それに先立つ1665年にはペストが猛威をふるい、1666年にはロンドン大火事が起き......とイギリスには災いが続いていました。どこかに原因をもとめて非難の矢を向けたい国民の不満は、宮廷に向かいます。災厄が続くのは、女道楽に耽溺する国王とその宮廷への天罰だ、という声も噴出します。それに対し、まずは衣服をすっきり刷新することによって、視覚的にわかりやすく、宮廷改革をアピールしようという目論見もあったのですね。


上着(コート)+ヴェスト+下衣+シャツ+タイ。この組み合わせで作る男の正装がほかならぬスリーピーススーツのシステムの原型となり、さまざまな試練の洗礼を経て少しずつ形を変え、現在に至るまで脈々と受け継がれているわけです。その間、女性のファッションシステムはほとんど変わりません。20世紀の初めまで延々と、コルセットで締めあげたボディに、下半身のシルエットを覆い隠すフルスカートのバリエーション。男性服のほうがはるかに敏感に社会の変化を反映しながら、前時代のなにがしかの痕跡をオマージュとして引き継ぎつつ、伝統を途切れさせることなく未来へと続いていく。はるかにスリリングではありませんか。スーツを着る男性は、敬意に値するそのような服を身にまとうことを誇らしく思っていいのです。そしてせめて心の中で祝いましょう、350周年を。



ファッション史展で「開化好男子」に出会う

Written by 中野 香織February 18,2016

文字通り嵐が吹き荒れたバレンタインデーが過ぎましたが、男性のみなさま、大切な方にはちゃんとお花を贈られましたでしょうか? 東京ではまだちらほらという感じでしたが、たぶん恋人や奥様のためであろう深紅の花を抱えた男性の姿も目に留まりました。花束を抱えた男性というのは、素敵ですね。服装のグローバルスタンダードを心がけるのであれば、ふるまいにおいてもグローバルスタンダードのいいところに合わせていくのがよいように思います(←男が、受け身でチョコを待っているのは日本だけ)。それに、あまり声高には語られていませんが、「スーツに花束」というのは、女性にとって萌え度が高いのです。その延長にあるのが、「イエス」の返事代わりに花束の中から一輪だけお返ししてボタンホールに挿す「ブトニエール」ですものね!


さて。2月14日を幸せに過ごした方もそうでない方も、春に向かうとはいえまだ少し肌寒いこの季節、ファッション史を学べる美術館デートに女性とお出かけになってみてはいかがでしょうか?。東京・世田谷美術館で開催中の『ファッション史の愉しみ』展。4月10日までなので、鑑賞のあと砧公園でお花見というコースもお勧めです。

museum poster.jpg
ファッション史に関する膨大な量の書籍や資料を収集してきた石山彰(1918-2011)さんのコレクションの図版と、神戸ファッション美術館が所蔵する、18世紀以降の本物の衣裳を見比べながら、ファッションの推移を楽しく学ぶことができる、圧巻の展示です。

見どころを一点一点解説し始めるときりがないのですが、これはぜひ、一度はご覧になるべきと思われるのが、皇帝ナポレオンと皇后ジョセフィーヌの戴冠式の大儀礼服です。皇帝ナポレオン1世と皇后ジョセフィーヌの戴冠式.jpg(Jacques-Louis David, Joséphine kneels before Napoléon during his coronation at Notre Dame. Photo from Wikimedia Public Domain )


1804年12月4日、パリのノートル=ダム大聖堂でおこなわれた皇帝ナポレオンと皇后ジョセフィーヌの戴冠式の絵ですが、ダヴィドによるこの有名な絵のなかで皇帝&皇后が着ている大儀礼服のリアル版がこちらなのです。神戸ファッション美術館をはじめて離れ、展覧会のために東京にやってきました。

fashion museum 2.JPG(Courtesy of Kobe Fashion Museum)


ナポレオンとジョセフィーヌが実際に着用した大儀礼服のデザインは、ジャック・ルイ・ダヴィッドとその弟子イザベルによるものです。神戸ファッション美術館が、1993年から95年にかけて、2億円(!)かけて同じ素材とパターンを用い、同じ大きさで、本物に忠実に復元したのです。制作にあたったのは、当時の衣裳の刺繍をおこなった「メゾン・ピコ」の直系にあたる工房、パリの「アトリエ・ブロカール」。


真紅のベルベットのガウンには、金糸でミツバチの刺繍が施されていますが、これは不老不死、栄光のシンボルです。アーミン(白テン)の毛皮は王族のシンボルでもあります。トランプでは、ハートのキング、カール大帝だけがアーミンを着用(ただし、フェルメールの絵などでは豪商の所蔵品としても登場します)。高貴な毛皮です。


カタログには書かれていない情報を少しお話させていただきますと、実はこのナポレオンのマネキンは、「ロボット」なのです。下半身にモーターが仕込んであり、動いて、ジョセフィーヌの頭部に戴冠するという動作をします(下の写真左から3番目がナポレオン。黒い部分にモーターがあります)。そのためかなり重く、神戸から東京への移動もたいへんな手間がかかっています。残念ながら今回の展示では動いてくれないようですが。


このロボットマネキンをはじめ、展示衣裳を着るマネキンの全てを製作しているのが、神戸ファッション美術館の名物学芸員、浜田久仁雄さんです(下の写真、右)。顔は現代の俳優をモデルに作っているそうですが、ヒストリカルな衣裳を着せるときには、その時代に合ったヘアメイクを綿密に施しているそうです。衣装展では顔のないマネキンが使われることも多いのですが、このように生々しい顔をもつマネキンが着ることで、その服を着た当時の人々の心や時代背景にまで、より思いを及ぼしやすくなるように感じます。

fashion museum.JPG          (Courtesy of Mr. Kunio Hamada, Academic Staff of Kobe Fashion Museum)
 
そして美術展の面白さは、人生の面白さと同じように、予想外の出会いにありますね。まさかこの美術展で「開化好男子」たちに出会えるとは。2.13.3.jpg水野年方が1890年に描いた「開化好男子」の絵の右半分。ポストカードになって販売されています。できればぜひ会場で、全体をご覧くださいね。


グローバル化をめざして洋装を取り入れた明治初期の好男子の装いが、テイルコートあり、フロックコートあり、詰襟の学生服あり、袴にゲタのバンカラ姿あり、着物あり......。和洋のバラエティに富んだ装いの好男子が一堂に会している光景は素敵だなあとしみじみ見入ってしまいました。こんな和洋の渾然一体もまたグローバルジャパンの魅力だと思えば、日本だけの「チョコ待ち男子」もアリかもしれませんね。好男子ぶりでは花贈り男子には到底かないませんが!

*Special thanks to Mr. Hamada, Academic Staff of Kobe Fashion Museum.

日本が救った「アメトラ」

Written by 中野 香織January 13,2016

2016年があけました。今年もみなさまにお楽しみいただけるよう、フットワーク軽く、アンテナ高く、キャパシティ広く、の心がけで新鮮な話題を見つけてご提供していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

さて今日は、現在の日本のメンズファッションを考えるうえで意義深い一冊の本をご紹介しましょう。

"AMETORA: How Japan Saved American Style" (「アメトラ:日本がアメリカンスタイルを救った物語」)、著者はW. David Marx、ニューヨークのBasic Booksから2015年12月に発売されました。ametora.jpg概要をごくごく単純化してご紹介いたしますと、第二次世界大戦後から現代までの日本のメンズストリートスタイルの発展を、アメリカとの関係のなかにたどるファッション文化史です。

詰襟の制服以外に「着るものがない」状態だった戦後日本の男性が、アメリカのアイヴィーリーグのカレッジスタイルに模範を求め、そっくり輸入し、日本独自のルールを作って発展させていきます。これが1960年代に流行した「アイヴィー」ルックであることはみなさんもご存じのとおり。ところが、日本でこのスタイルが普及するころには、「本場」のアメリカのカレッジにおいてはすでに誰も着ていません。日本人がアメリカントラッドのつもりでばっちり決めてキャンパスを見渡せど、アイヴィーリーガーたちはTシャツとサンダルという姿......。現代においては、アメリカのほうが、日本独自の発展を遂げた「アイヴィー」ルックを新鮮な目で発見していますし、また、ジーンズも含めアメトラの最上のものの多くは、ユニクロ、MUJI、Bathing Apeなどの日本のブランドが丁寧にリメイクし、世界を相手に売っています。つまり、アメリカではとうに廃れてしまった「アメリカの伝統的な服」を救ったのは、日本だったのです。


そんな物語です。と簡単に片づけてしまうのはもったいないくらいの豊富な具体例が、写真も含め、鋭くもエレガントな考察のなかに、ふんだんに紹介されています。雑誌、ミュージシャン、スタイリスト、日本のカリスマ的スタイルアイコン、渋谷や原宿の小売店などのファッションプレイヤーのマニアックな固有名詞もザクザク出てきて、ファッション好きにはたまらない。同時に、「グローバリゼーションはいかにして進んでいくのか」ということも考えさせてくれる、知的な興奮に満ちた、信頼に足る大作です。


美しく品格のある英語を味わう楽しみもあり、英語でお読みになれる方はぜひご一読をお勧めします。英語が難しいとお感じになる方のために、全文を日本語訳してご紹介したいくらいですが、なにせ269ページという分量、いつ終わるかわかりませんので、恐縮ですが、今日のところは目次の日本語訳からおおよその本の流れをご想像いただくことで寛恕ください。


第1章 スタイルのない国
第2章 アイヴィーへの熱狂
第3章 アイヴィーを大衆に広める
第4章 ジーンズ革命
第5章 アメリカをカタログ化する
第6章 ヤンキーめ
第7章 ニューリッチ
第8章 原宿から世界へ
第9章 ヴィンテージとレプリカ
第10章 アメトラを輸出する

さて、日本人にはとうてい思いつかなかったであろうこの斬新でニッチなアイディアを、粘り強いリサーチを続けて形にしてみせたデイヴィッド・マークス氏とは何者なのでしょうか?david marx 3.jpg彼はハーヴァード大学で東洋文化を学び、日本の慶應義塾大学大学院の商学部で修士号を取得、東京で暮らしています。実は今から7年ほど前、デイヴィッドがまだ慶應義塾の大学院生だったころ、ドイツからの留学生ヘルゲくんとともに、明治大学の私の授業にゲスト講師として来てくださったことがあります。どちらかというと道場破り的な(笑)ご訪問でしたが、長身イケメンのインテリ二人の登壇に女子学生は騒然としたものでした。しかも日本人すらよくわかっていなかった日本のファッション状況の精緻な分析を、流暢で上質な日本語で話していく。強烈な印象を残していきました。

そして再会したのが2013年の11月中旬。教え子のトモミさんがグーグルに勤めており、会社のある六本木ヒルズ高層階での社員用「フリーランチ」に招いてくれるという機会がありました。その時に彼女の同僚として同席してくれたのが、ほかならぬデイヴィッドでした。タイ料理を食べながら、「日本の戦後メンズファッションの歴史の本」の構想を、私よりもはるかに格調高い日本語で(!)デイヴィッドが滔々と語るのを聞いていたのですが、あのときの構想が、2年後に、すばらしい形で結実したというわけです。

「アメトラ」は文化史家としてデイヴィッドが一流であることを証明した本でもありますが、グーグルの社員でもあります。いったいどこまで優秀な方なのでしょうか。david marx.jpg写真左が身長190㎝超のデイヴィッドです。グーグル社の社員食堂(と呼ぶにはあまりにも贅沢な内容と空間)にて2013年11月撮影。

「アメトラ」日本語版もさることながら、映画化を強く希望したいところです。身近すぎて起源を意識すらしていなかったジーンズやチノパン、スウェット、ブレザーなどの「トラッド」服に対する見方が変わります。

同時に、ファッションにおいて夢や幻想を抱くことのすばらしさと滑稽さについても考えさせられます。アメトラのみならず、ブリティッシュトラッドとかイタリアンエレガンスとかフレンチシックとか。外部の人間が抱く幻想と滑稽さは背中合わせなのかもしれません。でも、誤解混じりの異文化の受容が、その異文化の温存に役立っていたとしたら、さらに異文化と自国文化の融合がダイナミックな文化のグローバリゼーションを促進していったとしたら、それはなかなか素敵な物語だと思いませんか。

クリップ・オン・タイの存在理由 その2

Written by 中野 香織December 27,2015

前回に続き、クリップ・オン・タイの話題です。

クリップ・オン型ではないですが、形がすでに完成している出来合いのタイであれば、1896年にアメリカで特許をとっていたタイがあります。ニュージャージーのマイヤー・ジャコボヴィッツという人に対して特許が与えられています。

ready made tie patent.jpg

(photo cited from patentyogi.com)


ジャコボヴィッツ氏の申請書類を読むと、この出来合いのタイは、「紙その他の堅い素材を使い、ステッチや裏地を省略することで、安価におさえる」ことを目的としています。このようなものを考案したくなるほど当時のタイは高価だったということでしょうか(この問題については機会をあらためて)。


では紐通しタイプではなく、今につながるクリップ・オン型はいつからあったのか......と調べてみましたが、明確な起源はいまのところ、はっきりわかりません。ただ、古着のマニアックな世界では、「ヴィクトリアン・タイ」と呼ばれているものがあります。


  12.19.2015.23.jpg12.19.2015.22.jpg
("Victorian Tie" offered by the enthusiastic collector of distinct clothes, Mr. Shuzo Takanashi.  Photo by Kaori Nakano )

左が表、右が裏です。このクリップをボタンにひっかけて、着用するわけですね。現在のクリップ・オン・タイと異なり、ユニークなのは、結び目の脇に出る布までつけられていること。

実際にこの種のタイがヴィクトリア時代に着用されていたのかどうか、はっきりとわかる写真がいまのところありません。


ただ、これを見て得心がいったのは、バスター・キートンの「シャーロック・ジュニア」(1924)という映画のなかのVゾーンです。
buster-keaton-sherlock-jr.jpg(photo cited from pifva.org / buster-keatons-sherlock-jr)


1920年代のシャツカラーといえば、デタッチャブル・カラー。紙やプラスチック製まで登場した、つけはずし可能なシャツ襟が流行した時代です。汚れやすく痛みやすい襟だけ洗ったり取り替えたりしたいという需要に答えた、倹約目的で生まれたカラーです。このサイレント映画のなかのキートンのシャツ襟は、断言はできないのですが、目を凝らして見るに、紙製の襟ではないかと思われるのです。そこに明らかに唐突な形でついているタイ。上の写真のようなクリップ・オン・カラーの存在を知らなかったときには、襟の中に布を通すような仕掛けになっているのだろうかと思っていましたが、そうではなかったのですね。写真のような構造のクリップ・オン・タイをシャツの第一ボタンにひっかける。これがキートンのVゾーンの仕掛けでした。

この映画でのキートンは、犯人捜しのために室内にいた人さまのポケットの中にある<証拠>を調べていきますが、なんと自分のポケットに件のブツが入れられていた、という愚かな探偵もどきぶりを見せます。そんな間抜けな「シャーロック・ジュニア」を演出するVゾーンとして、このいかがわしさと安っぽさと手抜き感満載のVゾーンは、これ以上ないほどふさわしかったのですね。

そんなこんなの現在と過去のクリップ・オン・タイについて考えるのは、邪道とされているものの存在理由について考えるということでもありました。誰もが王道を行くことができればそれはすばらしいことですが、邪道にもなにかしらの切実な理由があって、生まれ、存在し続けている。主流の視点から見て「無用」とされるものにも、なにかしらの「用」がある。「無用」が存在できることでシステム全体も意外と強く生き残ることができる。そんなことをあらためて思い出しました。

<スペシャル・サンクス>

今回のクリップ・オン・タイの話題は、変態的な(ホメています)古着コレクターにして研究家であるパタンナー長谷川彰良さんが主宰した「絶滅古着研究会」での学びがインスピレーションになりました。ヴィクトリアン・タイをそこに持ってきてくださったのは、やはり偏狂な(ホメています)古着コレクターにして古着着装家である高梨周三さんです。当日はほかに服飾のプロである大西慎哉さん、川部純さん、若き女性テイラーのモリタ・トモさんも加わり、集合知を作り上げる感動を味わわせていただきました。クリップ・オン・タイの考察のヒントは彼らとの学びの中から生まれました。心より感謝申し上げます。

クリップ・オン・タイの存在理由 その1

Written by 中野 香織December 25,2015

ネクタイであれボウタイであれ、着るたびに結んで形を作ることが、王道ということになっています。タイを結び、ほどくという儀式的なプロセスにこそ、スーツを着ることの要諦があるのかもしれないですし、ほどけたボウタイのタキシード姿を拝めるチャンスが訪れるかもしれないと思わせてもらえるのは、女性にとってのささやかな幸せでもあります。幼稚園の卒園式のような出来合いのボウタイでは、セクシーな展開などあまり想像できませんものね。

というわけで、たとえ面倒でも、タイはいちいち結び、ほどくという手間を惜しまないのが、一般的には「正しい」。紳士服飾読本の類には、出来合いのタイの形のあまりにも整いすぎた様がよろしくない旨が書かれていることが多いように見受けられます。たとえば、アメリカのメンズファッションの権威、ブルース・ボイヤーは、『トゥルー・スタイル』(G. Bruce Boyer, True Style.  Basic Books. 2015)という著書のなかで、このように書きます。

「出来合いのボウタイは完璧すぎるのだ。あまりにも左右対称すぎるし、バランスがよすぎて欠点がない。こんなことはあまり言いたくはないが、そんな出来合いのボウタイは、あなたが服装に関してアマチュアであることをはっきりと示すサインなのである」

だから逆にいえば、結び方が多少下手で左右非対称になっていても、かえってそれはボウタイの魅力になるということでしょうか。

true style.jpg












とはいえ。服装に関して「アマチュア」でもかまわないと思う人も世の中には多いのも現実で、そんな世の中にはそれなりのさまざまな「正しさ」があります。立場や見方が変われば、「正しさ」も変わります。


たとえば、NYPD(New York City Police Department)ことニューヨーク市警察の警察官の制服のタイは、出来合いのタイをクリップでとめるだけの「クリップ・オン・タイ」です。

Clip-On_Tie.jpg  (Photo from Wikimedia Commons)


「NYPDブルー」(同タイトルのドラマもありました)と呼ばれる出来合いのタイを提供する現在のメーカーは、ボルチモアにある「ケンブリッジ・アパレル」。このメーカーが担当するよりもずっと前、少なくとも20世紀初頭からすでにクリップ・オン・タイであったそうなのですが、その理由は、安全面にあります。犯人と格闘するときにネクタイで首を絞められたりする危険を避けるため。なるほど、法の番人である立場を視覚的に示す必要と、その身を守るための安全面をともに考慮した結果、導かれた「正解」こそ、警察官のクリップ・オン・タイというわけですね。

NYPDBlue_S5.jpg (Photo from Wikimedia Commons)


そしてもう一つの例。学校の制服です。たとえば日本でいえば中学校ですが、イギリスのエセックス州にあるコルム・コミュニティ・スクールの制服のタイは、クリップ・オン・タイです。学生の「健康と安全」を考慮して、クリップ・オン型のネクタイ着用が義務付けられています。出来合いのネクタイを着用することで、きちんとした見栄えを保ちながら、首を絞めすぎたり暑さで不快な思いをすることのないようにという、学校側の「正しい」配慮がそこにあるわけです。というか本音は、暑くなるとすぐに生徒たちがタイをゆるめるので、常に見た目を整えておくためには形が完成されたタイをつけさせておくのが手っ取り早い、というところなのかもしれません。

さて、この「正しい」配慮に関しては、ひとりの学生が抗議の姿勢を示しました。大人のように結んで仕上げるタイプのネクタイを着用していった結果、処罰を受けたことでちょっとしたニュースになりました。2013年2月のことですが、「校則を破った」ことで罰せられたマックス・リッチモンド君はこんなふうに語っています。

「ぼくはタイをきちんと結ぶのが好きだ。何世代も、人々はそうしてきたんだし、もし中学校でそれを学ばなければ社会人になってもできないままだ。それに出来合いのクリップ・オン・タイなんてつけていたら、他校との試合のときにまともに相手にされない。子供っぽいし、ばかっぽい」。


マックス君の主張はもっともなことに聞こえます。学校内における生徒の「健康と安全」に配慮した「正しさ」と、一般社会の慣習に則った「正しさ」を実践したマックス君。学校外の人間が自治にとやかく言うことはできませんが、処罰を恐れず自分が正しいと思うことを実践した彼の勇気をまずは讃えたい。

そんなこんなの物議をかもしながら、多様な需要に支えられて根強く存在し続ける出来合いのクリップ・オン・タイですが、いったいいつから存在するのでしょうか?

続きは次回に。

ハンカチーフとポケットスクエア

Written by 中野 香織November 18,2015

ところ変わればマナーも変わります。日本人は人前で鼻をかむことを遠慮しますが、イギリス人は派手に音をたてて鼻をかみます。しかも鼻をかむのにハンカチーフを使います。使ったハンカチーフをどうするのかと観察していると、ズボンのポケットにしまったり、シャツの袖口(!)のなかにたくし入れたりしています。別に驚くことでもなく、オックスフォード英語辞典でhandkerchiefという語をひくと、「鼻をかむための小さな布きれ」という定義が出てきます。

ちなみに、秋の初めに公開されたアメリカ映画「マイ・インターン」では、「時代遅れ」な装いのシニアインターン、ベン(演じるのはロバート・デ・ニーロ)が、「ハンカチーフは女性が涙を流した時にそっと差し出すもの」という考えをもって、もはやアメリカでは絶滅しかけた?ハンカチーフを持ち歩いています。社長(アン・ハサウェイ)が飲み過ぎ、悪酔いしたときにも、真っ白いハンカチを優しく差し出しておりました。handkerchief.jpgそんな頼もしい実用品として生き残るハンカチーフですが、元々は求愛の小道具でもありました。handkerchiefという英語が使われたのが1530年。handは手、kerは包む、chiefは頭の意味。つまり、「手で持ち歩く、頭を包む布」という意味です。

騎士道華やかだった時代に、地位の高い女性が男性に恋心をほのめかす時に四角い布を手渡し、受け取った男性はこれを兜の中にしまい込むという習慣があったそうです。これが「頭を包む布」ことカチーフであり、やがてこれを手に持つことが貴婦人のファッショナブルなエチケットになっていったという次第。気になる人の前でわざとハンカチーフを落として拾わせる、という古典的すぎてもはやマンガ的なハンカチーフの使い方は、正しく起源を踏襲していたわけですね。そんなロマンティックな起源を持ちながらも実用品としての性格を強めていったのが今のハンカチーフでしょうか。

現在では、ハンカチーフはすっかり、体内から出るあれこれの液体をぬぐうためのものとなり、ロマンティックな機能をになうのは、ポケットスクエアのほうになりました。日本語ではポケットチーフという呼び名が定着していますが、英語ではpocket square. こちらは装飾に徹しており、素材も、コットンではなく、シルクやリネン(そしてポリエステル)が多く見られます。液体をふくようには作られていません。


スーツスタイルにポケットスクエアがあるのとないのとでは、がらりと印象が変わります。たとえネクタイをしていなくてもポケットスクエアがさりげなくさされているだけで、その人だけでなく、場全体が華やいで見えるのです。ある知人の表現を借りれば、その人を「zero to hero(ゼロからヒーローに)」変える力があります。

私の仕事の環境は、世間一般から見ればかなり特殊だとは思いますが、お目にかかる男性のポケットスクエア率がほぼ100%で、時々Vゾーンの写真を撮らせていただきます。そのなかから、実際の例を紹介します。

たとえばこのように、きちんとしたダークスーツにちらりと白いスクエアをTVフォールド(プレジデンシャルとも呼ばれます)にして。または着くずしたディナージャケット(アメリカ語でタキシード)にグレーのシルクスクエアを無造作に。小さな布がちらりとあしらわれているだけで、堅苦しさから自由になって親近感を抱かせ、だらしなさの印象を免れて洒脱な印象を与えることができます。
v zone 2.jpgまた、ツイードのジャケットでも、ありです(左)。田舎紳士がおしゃれするとこうなる、と自嘲していらっしゃいましたが、ジャケットの柄に同化するくらいのポケットスクエアの選択が、よいと思います。右のストライプスーツの方はネクタイとスクエアの色が微妙にずれているところが、いいですね。ネクタイとスクエアは、完全なおそろいにしないほうがよいように感じます。おそろいは、やり過ぎというよりもむしろ、あまり考えてないだろうという幼稚な印象を与えてしまいます。v_zone_4.jpgブレザーの胸ポケットにも、左右の長さが異なる台形型にさせば動きが出せますし、ネクタイをしないオープンカラーの場合でも、シャツの色に近い色のスクエアをふわっとさすだけで上半身が華やかになり、決して礼を失しているようには見えません。
v zone 3.jpg頂点を複数つくる、ダブルポイント(左)、スリーポイント(右)。ここまでやる上級者はやはりお帽子もセットです。
v zone 6.jpgさらに上級者となると、白いウェストコート、白いジャケットに合わせるこんなスタイルもあり。メンズの白は派手に見えすぎるおそれがありますが、逆に、ポケットスクエアが加わることで、これもまた「一つの風景」としてまとまりのある印象を与えることができます。ここまでくるとほとんどコスプレの域に近づいてきますが。v zone 1.jpg

ポケットスクエアをキザと見て敬遠する職場環境が日本には多いと聞きます。そのような環境に慣れていらっしゃる場合、上記のようなドレスアップ上級者の方々の例はまったく縁のないものに感じられるかもしれません。

しかし、ごく一般的なビジネススタイルにおいても、たとえば夜からプライベートのディナー、などというときに、ポケットスクエアを一枚さっとさすだけでドレスアップスタイルに早変わりします。そのささやかな気配りが、同じ場と時間を共有する人に対する、いわば「おもてなし」ないし「敬意の表現」となるのですね。自分や場への気配りと敬意を視覚的に受け取った相手は、ひるがえって、あなたに敬意や感謝のお返しをします。つまり、あなたの扱われ方が変わります。相手へのサービスはそうやって自分に返ってくるものです。侮りがたしポケットスクエア。もちろん、ズボンのポケットには万一のためのハンカチーフも忘れずに。

ネクタイ&ミニスカの日

Written by 中野 香織October 01,2015

日本において、「ネクタイの日」は10月1日。これは、1884年に小山梅吉がネクタイの製造を始めたことを記念して、日本ネクタイ組合連合会が制定した記念日です。

世界に目を向けてみますと、クロアチアが提唱している「クラヴァットの日」というのがあります。

10月18日です。

前回の記事をご覧になった方は、この日にまつわるイメージを思い出されましたでしょうか。2003年のこの日、クロアチアにある「アカデミア・クラヴァティカ」が、ローマの遺跡である円形競技場(アリーナ)の外周に808メートルの巨大な赤いクラヴァットを巻く「アリーナを囲むクラヴァット」というインスタレーションを作ったのですね。その壮大なイベントを決行した日を、「クラヴァットの日」と定めたのです。「いい夫婦の日(1122)」みたいな語呂合わせではなく、派手なアクションを起こし、起こしたその日を記念日にするという行動力に、「クラヴァットで国興し」級の本気を感じます。

以後、この日には、クロアチアの首都ザグレブで、クラヴァットにまつわる華やかなイベントがおこなわれています。

クロアチアの伝統的な軍服に身を包んだ衛兵たちによるパフォーマンスや、ネクタイと建物とのコラボでつくるさまざまなインスタレーションなど。
cravat5.jpg                                               (photo:Courtesy of Academia Cravatica)

ちなみに、「アカデミア・クラヴァティカ」とは、クラヴァット研究・広報のための非営利法人で、1997年に発足しました。クロアチアでかつて盛んであった絹の産業を復活させる、というミッションも担っています。

クロアチア兵の首の布は、愛する女性がお守りとして巻いたもの。崇拝する女性のスカーフや袖を武具につけて闘った中世ヨーロッパの騎士の伝統を受け継ぐものでもありますね。軍服にして、闘う男のロマンも秘めたクラヴァット。「クラヴァットの日」には、そんなネクタイの祖先の姿にも思いを巡らせてみたいものです。

でも10月18日は、日本においては「ミニスカートの日」。「ミニの女王」ツイギーが来日してミニスカ旋風を巻き起こした記念日なんです。

ネクタイ愛好者が祝杯を挙げたいクラヴァットの日は、日本ではミニスカの日。ビミョウではありますが、まあ、この日に乾杯する理由が増えるということで!

「起源」のロマン

Written by 中野 香織September 14,2015

スーツの袖口問題もそうですが、メンズファッションは「起源」の物語にあふれています。下襟のボタンホールは、軍服の詰襟の第一ボタンを受け止めていたボタンホールの名残りであるとか、モーニングコートの背中につくボタンは、乗馬の際に上着の裾を背中で受け留めるためのボタンの名残りであるとか。ネクタイの祖先クラヴァット(cravat)は、フランス王ルイ13世が雇ったクロアチア人(croat)の兵士が凱旋してきたときに首に巻いていた布のことだったとか。cravat 4.png(クロアチア人の兵士は、愛する女性からのお守りとして首に美しい布を巻いたと伝えられる。photo:Courtesy of Academia Cravatica)

そんな起源物語を語り継ぐことによって、現在の男性服の祖先としての軍服や乗馬服に思いを馳せ、何十年、何百年も前の高貴な男の生き方なんぞについて、あれこれ考えを巡らしたりすることもできるわけですね。前時代の服とは断絶せず、連綿と伝統をどこかで受け継いでいく。唐突な変化を繰り返す女性服には見られない、男性服の特徴でもあります。

起源物語はロマンティックなものばかりではありません。時々、失笑してしまうほど拍子抜けな物語もあります。たとえば、スーツの上着の一番下のボタンを留めないで開けておくことの由来。美食をはじめとして快楽が大好きだった20世紀初頭のエドワード7世が、あまりにも節制なく美食を続けたせいでヴェストが窮屈になり、ある晩餐会の席で、苦しさに耐えかねて一番下のボタンをこっそりはずしてしまった。それを見た周囲の者が、君主に恥をかかせてはならぬと皆、同じようにボタンを外した......というお話。edward VII.jpg(Edward VII, 1841-1910, 英国王1901-1910.  Photo from Wikimedia Commons)

当時の証拠がないので真実かどうかはわかりませんし、他にも諸説は散見できるのですが、少なくともこの物語がもっとも好まれ、語り継がれていることは事実なのです。トラウザーズ(ズボン)の裾を最初にダブルにしたとされるのもエドワード7世。ぬかるみを歩いていた時に、裾が汚れないよう折り返したのが始まりだそう。だからダブルはどちらかといえばカジュアル扱い、というかフォーマルウエアには使われません。正式なズボンはあくまでもシングルなんですね。

スペンサージャケット誕生の物語も、よく言えば人間味のある、悪く言えば「まぬけ」な話です。1790年ごろ、スペンサー伯爵が暖炉のそばに立っていて、テイルコート(燕尾服)の尾の部分を焦がしてしまった。困った伯爵は思いあまって尾の部分を切り取ってしまう。その丈の短い上着がマネされて流行し、その後、軍の正装メスジャケットとしても使われるようになるという物語。George_Spencer,_2nd_Earl_Spencer.jpg(George John Spencer, 2nd Earl of Spencer. 1758-1834. 写真は1800年ごろの肖像画。photo from Wikimedia Commons)

スペンサー伯の胸に輝くのは英国最高の勲章であるガーター勲章の星章。ファッション史上では燕尾を焦がしたうっかり者として記録されていますが、立派な政治家であり、王璽尚書、海軍卿、内務大臣を歴任しているばかりか、枢密顧問官、王立協会フェロー、ロンドン好古家協会フェローなどの数々の輝かしい肩書きの持ち主でもあります。そんなおそれ多いほど高位のジェントルマンが、ぼんやりしていて裾を焦がし、切っちゃった。そのギャップ萌えにより、この起源物語が語り継がれているのではないかとさえ推測したくなります。

ほかにも、知れば知るほど脱力してしまう物語が少なくありません。ただ、ロマンをかきたてる由来であれ、脱力系起源であれ、起源物語には共通することがあって、それは、ふとしたアレンジが生まれた決定的瞬間が、一枚の絵のように鮮やかに脳内に描けるということ。

将校が戦いを終え、平和な時間にほっと寛いで第一ボタンを外し、襟を開いたその瞬間。
勝利をおさめて意気揚々と行進する兵士の首元にたなびく美しい布。
ディナーに満足し、身と気をゆるめたくなり思わずボタンを外したその一瞬。
要職に就く立派な紳士が、うっかり
服を焦がしたときのあわてぶりと大胆すぎる決断。

私たちが脳内に描くその瞬間の絵には、時をフルに生きている男の息遣いがあります。キザを恐れずに言ってしまえば、命の輝きがあるのです。栄光の瞬間も、しょぼい瞬間も、いずれ変わらぬ貴重な生の時間。西洋の男性は、時代と組み合って生きた男の人生に起きる大小さまざまなエピソードを服にからめて託し、伝えてきたとも言えます。そういう視点で男性服を眺めると、洋服ダンスのあちこちから、すべての瞬間を味わい尽くして生きよという先人たちのメッセージが聞こえてきませんか。いや、それはコワいな。cravats.jpg

なんであれ起源は記念日を生み、記念日はお祭りやアートを生みます。10月18日はクロアチアではクラヴァットの日。写真は2003年10月18日に作られたインスタレーション、競技場をとりかこむクラヴァットです。A Cravat Around the Arena. (photo:Courtesy of Academia Cravatica; Marijan Busic "Cravat around Arena", land-art installation, Pula, Croatia, October 18th 2003) 

 

 

 

 

スーツの袖口からシャツをのぞかせる理由(読者のみなさまからのご意見)

Written by 中野 香織August 15,2015

先日公開しました「スーツの袖口からシャツをのぞかせる理由」の記事につき、さっそく読者の方々からたくさんのご意見・ご感想が届きました。
なんとありがたいことでしょうか。

そのなかからおひとかた、かいしんさまのコメントを、ご本人の了解を得て、紹介させていただきます。

★★★★★

「スーツの袖口からシャツをのぞかせる理由」はと問われれば、
私は、大切なスーツの袖口を自分の汗や皮脂から守るため、
そして、そのようにしたほうが美しいからだと答えます。

 上着であるスーツが肌に触れて汚れるのを防ぐ、それが、下着である
ドレスシャツの役割の一つだと考えております。
 しかし、もちろんそれだけではありません。白しか着ないのも、
弔事用以外のものはすべてダブルカフスにしているのも、
細い糸を使用した光沢のある生地を選ぶのも、
そして、離れたところからでも見ていただけるように出しているのも、
美しさを際立たせるために他なりません。

★★★★★

そのほかのご意見の大半も、

「カフスを出すのも、襟を出すのも、スーツを守るためだと思っていた」というものでした。

現代において日常的にスーツを着る方の感覚では、それが自然で合理的なのですよね。

かつては、「汚れる心配がないから(=手元を汚すような仕事をする必要がないので)高価な白いリネンをふんだんにのぞかせてます」という階級(ないし富)のアピールのためにつけられた袖口のリストラフやフリルやカフス。
現在は「スーツを守るべく毎日汚れますが、汚れても常に白さを維持できる財力と美意識があります」と暗に語る部分へとスライドしたと見るべきでしょうか。カントリーウォッシング(水のきれいなカントリーで洗濯をする)を提唱したブランメルの頃から、この発想はすでにあったわけですが。

ただ、「スーツを守るため」とはっきりと公言されたのは、スーパーストレッチウォッシャブルスーツの説明を聞いたときが初めてでしたので、驚いた次第でした。

さまざまなご意見・ご感想を伺いながら考えを修正していけるというのはウェブならではの醍醐味ですね。
ありがとうございました。





スーツの袖口からシャツをのぞかせる理由 その2

Written by 中野 香織August 12,2015

前項で見たように、西洋の男性は、近代スーツが誕生する以前からの慣習、<上着の袖口から白いシャツをのぞかせる>という伝統を延々と踏襲してきたのです。その理由は、リネンのシャツが高価であったゆえの富の誇示であり、「手元を労働で汚す必要がない階級であることを示すため」というものでした。

ところが、そのような服飾史上の「常識」というか「伝統的な理由」を覆してしまう、衝撃の出会いがありました。

日本全国にチェーンストア展開をする、ある有名会社のメンズスーツ担当者とコラボレーション講義をおこなったときのことでした。
その会社は、自社ブランドのスーツも企画し、作っています。手ごろなラインからやや高級なラインまで幅があるのですが、担当者いわく、もっとも売れ筋にあるのが、29800円のスーツ。スーパーストレッチ素材でできているうえ、自宅での洗濯も可能なウォッシャブルスーツです。ツーボタンでぴったりと身体に寄り添い、上着丈は短め。トラウザーズも細身で、クラッシュもわずか。いまどきの若いサラリーマンがよく着ている、まさにワークウエアとしての機能に徹したスーツなんですね。

スーツの美学にうるさい方は、ウォッシャブルスーツなんてスーツの範疇に入れるなとおっしゃいますし、社会的な立場のあるクライアントを相手にするスタイリストの方々も、ウォッシャブルスーツや化繊の割合の多いスーツには手を出すなと助言なさいます。それも、もちろん一理あります。熟練職人が手がけるスーツといっしょくたにするつもりはありません。天然素材のキレのいいカッティングのスーツや最上級素材を使ったシャツを、悠々と手入れをしながら身につける優雅なスーツ世界の伝統は、これからも守られていくでしょう。

それはそれとして、一方で、もっとも売れているスーツが29800円のワークウエアとしてのスーツであるという、まぎれもない現実がある。そうなんですよね、いまどきの「スーパースーツ」は、ワークウエアでもあるのです。手を汚さない階級の服であるどころか、書類の山と格闘しているうちに手のまわりは自然と黒っぽく汚れていきます。

このような勤労者が着るいまどきのスーツにおいて、袖口からシャツをのぞかせる理由とは。

「スーツの袖口を守るために、シャツのカフスを出しておくのです。そうすれば、先にカフスが痛んでくれますので、スーツは守られます」
super suit 1.jpg29800円のスーツを守るために、さらに安価なシャツをどんどん着つぶしていく。シャツのカフスはそのために1.5センチ出す。

担当者さんのこの説明を聞いたときの、歴史家(わたしですね)の衝撃ときたら。連綿と続いてきたスーツのルールを裏付ける歴史的な理由をあっさりと覆す、超合理的な理由。なんてアナーキー。しかし冷静に考えてみると、リネンが財産目録に記されていた時代は遠い遠い昔、いま、シャツは(たとえ高級素材で作られていようと)どちらかといえば消耗品です。この理由<スーツの袖口を守るために、シャツを出しておく>は、高級スーツの世界にも適用可能であるように思えてきました。

というか、これが衝撃だったのは私がおもに歴史本を中心に読んでいたからで、最近の着こなし読本には、むしろ、「新しい」理由のほうがふつうに説明されているのかもしれません。不勉強でしたら申し訳ありません。回り道であったにせよ、細心の超合理的理由を学べたことは幸いでした。

それにしても、29800円のスーパーストレッチウォッシャブルスーツには考えさせれました。日本人は、現実の実情にあった合理的なスーツを考案して世に出し、支持を受けている。「本場」イギリスで生まれたスーツの形式的なシステムやルールは遵守するけれども、素材も、ルールを裏付ける理由も、この国の必要と実情に合った形で自由に作り替える。そんな「世界標準服」とのしたたかなつきあい方に、心ひそかに感嘆します。少なくとも、このようなスーツの取り入れ方は、西洋の論理にまったく媚びてないという点で「帝国主義」には屈していない。いやむしろ、日本のほうが西洋のスーツ文化を都合のいいように流用している「帝国主義的」なふるまいをしていることになります(笑)。

それにしても、理由なんていかようにもくっつけることができるんですね。スーツをはじめとする多くのメンズファッションには、起源物語がありますが、意外と後付けが多かったりするのかもしれません。とにかく男性には「理由」や「物語」が必要なので、新アイテムを世に出すにしても、売り手がなにかしら「理由」を考案しています。


スーツの袖口から白いシャツをのぞかせる理由、私の直感ではごくシンプルなんです。ただ単純に、美しく見えるから。首と、両手首、この三か所に少量の白がバランスよく配されていることで、手が顔の近くにくるときも、遠くから全身を眺めた時も、とにかく華やいで見え、清潔感を感じさせるうえ、おさまりがよいのです。一人の女としてスーツを見るとき、正直なところ、それ以上、何も理由はいりません。

(写真は、スーパースーツの広告より)

Blogger

中野 香織

エッセイスト/服飾史家/
明治大学特任教授

吉田 秀夫

”盆栽自転車” 代表

長谷川 裕也

"BOOT BLACK JAPAN" 代表

山本 祐平

”テーラーCAID” 代表

伊知地 伸夫

”FAIRFAX” TRAD部門ディレクター

慶伊 道彦

”FAIRFAX” 代表取締役

Recent entries

Monthly archive

PREV1  2  3  4