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スーツの袖口からシャツをのぞかせる理由 その2

Written by 中野 香織August 12,2015

前項で見たように、西洋の男性は、近代スーツが誕生する以前からの慣習、<上着の袖口から白いシャツをのぞかせる>という伝統を延々と踏襲してきたのです。その理由は、リネンのシャツが高価であったゆえの富の誇示であり、「手元を労働で汚す必要がない階級であることを示すため」というものでした。

ところが、そのような服飾史上の「常識」というか「伝統的な理由」を覆してしまう、衝撃の出会いがありました。

日本全国にチェーンストア展開をする、ある有名会社のメンズスーツ担当者とコラボレーション講義をおこなったときのことでした。
その会社は、自社ブランドのスーツも企画し、作っています。手ごろなラインからやや高級なラインまで幅があるのですが、担当者いわく、もっとも売れ筋にあるのが、29800円のスーツ。スーパーストレッチ素材でできているうえ、自宅での洗濯も可能なウォッシャブルスーツです。ツーボタンでぴったりと身体に寄り添い、上着丈は短め。トラウザーズも細身で、クラッシュもわずか。いまどきの若いサラリーマンがよく着ている、まさにワークウエアとしての機能に徹したスーツなんですね。

スーツの美学にうるさい方は、ウォッシャブルスーツなんてスーツの範疇に入れるなとおっしゃいますし、社会的な立場のあるクライアントを相手にするスタイリストの方々も、ウォッシャブルスーツや化繊の割合の多いスーツには手を出すなと助言なさいます。それも、もちろん一理あります。熟練職人が手がけるスーツといっしょくたにするつもりはありません。天然素材のキレのいいカッティングのスーツや最上級素材を使ったシャツを、悠々と手入れをしながら身につける優雅なスーツ世界の伝統は、これからも守られていくでしょう。

それはそれとして、一方で、もっとも売れているスーツが29800円のワークウエアとしてのスーツであるという、まぎれもない現実がある。そうなんですよね、いまどきの「スーパースーツ」は、ワークウエアでもあるのです。手を汚さない階級の服であるどころか、書類の山と格闘しているうちに手のまわりは自然と黒っぽく汚れていきます。

このような勤労者が着るいまどきのスーツにおいて、袖口からシャツをのぞかせる理由とは。

「スーツの袖口を守るために、シャツのカフスを出しておくのです。そうすれば、先にカフスが痛んでくれますので、スーツは守られます」
super suit 1.jpg29800円のスーツを守るために、さらに安価なシャツをどんどん着つぶしていく。シャツのカフスはそのために1.5センチ出す。

担当者さんのこの説明を聞いたときの、歴史家(わたしですね)の衝撃ときたら。連綿と続いてきたスーツのルールを裏付ける歴史的な理由をあっさりと覆す、超合理的な理由。なんてアナーキー。しかし冷静に考えてみると、リネンが財産目録に記されていた時代は遠い遠い昔、いま、シャツは(たとえ高級素材で作られていようと)どちらかといえば消耗品です。この理由<スーツの袖口を守るために、シャツを出しておく>は、高級スーツの世界にも適用可能であるように思えてきました。

というか、これが衝撃だったのは私がおもに歴史本を中心に読んでいたからで、最近の着こなし読本には、むしろ、「新しい」理由のほうがふつうに説明されているのかもしれません。不勉強でしたら申し訳ありません。回り道であったにせよ、細心の超合理的理由を学べたことは幸いでした。

それにしても、29800円のスーパーストレッチウォッシャブルスーツには考えさせれました。日本人は、現実の実情にあった合理的なスーツを考案して世に出し、支持を受けている。「本場」イギリスで生まれたスーツの形式的なシステムやルールは遵守するけれども、素材も、ルールを裏付ける理由も、この国の必要と実情に合った形で自由に作り替える。そんな「世界標準服」とのしたたかなつきあい方に、心ひそかに感嘆します。少なくとも、このようなスーツの取り入れ方は、西洋の論理にまったく媚びてないという点で「帝国主義」には屈していない。いやむしろ、日本のほうが西洋のスーツ文化を都合のいいように流用している「帝国主義的」なふるまいをしていることになります(笑)。

それにしても、理由なんていかようにもくっつけることができるんですね。スーツをはじめとする多くのメンズファッションには、起源物語がありますが、意外と後付けが多かったりするのかもしれません。とにかく男性には「理由」や「物語」が必要なので、新アイテムを世に出すにしても、売り手がなにかしら「理由」を考案しています。


スーツの袖口から白いシャツをのぞかせる理由、私の直感ではごくシンプルなんです。ただ単純に、美しく見えるから。首と、両手首、この三か所に少量の白がバランスよく配されていることで、手が顔の近くにくるときも、遠くから全身を眺めた時も、とにかく華やいで見え、清潔感を感じさせるうえ、おさまりがよいのです。一人の女としてスーツを見るとき、正直なところ、それ以上、何も理由はいりません。

(写真は、スーパースーツの広告より)

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中野 香織

エッセイスト/服飾史家/
明治大学特任教授

吉田 秀夫

”盆栽自転車” 代表

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