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30年前のお宝で「初心」を思い出す~「卓越する」という回答

Written by 中野 香織January 06,2017

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、断捨離して古いものをどんどん捨てていくと新しいものが入ってくる......という言説が世間では大手を振って流通していますね。しかし、それは歴史家にはあてはまらないことがあります。世の中からはまっさきに捨てられそうな古いものをとっておくことで、それが後に新しいインスピレーションの源になったりします。

たとえば、昨年末、といっても一週間ほど前のことですが、〇十年ぶりに倉庫の資料を整理しておりましたらば、1987年(ちょうど30年前ですね)2月にロンドンからエアメイルで届いた大きな茶封筒がでてきました。

Mary Quant 1.jpg差出人はマリー・クヮント社。中には同社の当時のプレスオフィサー(広報担当)ルイーズ・バーネット氏からの手紙と、

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クヮントに関して書かれている文献リスト、同社のプレス資料、およびロンドン・ミュージアムの「マリー・クヮントのロンドン」展カタログ2種類。つまり、今ではほぼ入手不可能と思われる貴重な資料が同封されていました。

img070.jpg30年前。文学部をいったん卒業してから訳あって学士入学した教養学部の「イギリス科」というところで卒業論文を書くにあたり、テーマに選んだのが、「マリー・クヮントのミニスカートと1960年代のイギリス社会」でした。今のようにインターネットもなく、ましてやアマゾンもなく、同時代に発売された洋書を手に入れるのも一苦労という時代。マリーのことが書かれた文献を遠回りして探すより、いっそ思い切って同社に聞いてしまうのが確実であろうと考えた私は、マリー・クヮントご本人あてにその旨を手紙で書き、ご助言を乞うたのでした。受け取ったお返事が、こちらの期待をはるかに超える、上記のような資料だったというわけです。

Mary Quant 2.jpg

たしか、この茶封筒が届いたのが締切直前あたりで、論文には上記の資料を完全には反映できなかった記憶があります。それでもなんとかかき集めていた資料をもとに書き上げたのですが、教授陣(おもに英文学における「権威」と呼ばれる方々がずらりと揃っていました)から、賛否まっぷたつのコメントをいただきました。「前例がなく荒削りだが、新しいことにチャレンジするガッツは買いたい」という好意的な少数の感想と、「ファッション、しかもミニスカートのような軽薄で表層的なテーマはアカデミズムで扱うにふさわしくない」という旨の、圧倒的多数派の否定的意見。今から思えば、とりわけ、その中のお一人からあからさまな嫌悪感を表明されたことが心に「傷」(かすり傷ですけどね!)として残っていて、だからこそ、「そうではないことを証明いたしますから、しばしお待ちくださいませね」(←その時の心中を100倍ほど丁寧にした言葉で書いています)という闘志がわいたんですよね。人生を賭けるほどの情熱を感じていたわけでもなく、そこでやめてもよかったのです。ぬるい是認ばかりだったら、そこそこ満足してやめていたかもしれません。でも、「アンチ」さんがきつい言葉を放ってくれたおかげで、ここでやめるのは負けに等しいから、せめて「一勝」を実感できてからやめよう、と思ったのです。「アンチ」さんの存在が、実は意外に大きな前進のエネルギーになってくれるということは、その後もしばしば経験しました。

目の前で否定的な意見を公言してくれる「アンチ」さんはまだいい。その後、手探りで奮闘するなかで名前がメディアに出るようになると、とんでもなく卑劣で下品なやり方で足を引っ張ろうとしたり、貶めたりしようとする輩にもしばしば遭遇しました。理不尽ないじめにあうのと同じようなもので、心に鉛を落とされたような気持ちになりますよね。生きる力すら削がれるような思いをしたこともあります。しかし、攻撃を避けようとして仕事を控えるのは、向こうの思うツボにはまるだけ。かといって同じレベルで反撃しても自分がそのレベルに落ちるだけ。そんなときこそ、意地でも満面の笑顔と優雅な態度を保ち、悔しさや怒りを仕事のエネルギーに変換して、仕事の質を高め、その量を確実に積み重ねていくことに専心しました。振り返ってみると、圧倒的な差がついていた。「アンチ」さんこそが、私を後押しし、前進させてくれたというわけです。笑



ミシェル・オバマ氏が、2016年の4月に、ジャクソン大学の卒業生に向けておこなったスピーチは、理不尽な差別や憎しみ、偏見に対していかに闘うべきかについてのパワフルな指南も満載なのですが、とりわけ強く共感し、繰り返し聞いている一節があります。

"Excellence is the most powerful answers you can give to the doubters and the haters. It is also the most powerful thing you can do for yourself, because the process of striving and struggling and pushing yourself to new heights --- that's how you make yourself stronger and smarter and able to make a difference for others." (「疑いを向ける人、憎しみを向ける人に対してもっとも効力を発揮する答えは、卓越すること、なのです。それは、あなた自身にとっても、力を発揮します。なぜなら、努力し、奮闘し、あなた自身を新たな高みに押し上げるという過程、その過程こそが、あなた自身を強くし、賢くし、他の人たちと違う価値をもつ存在にするのですから」)

ミシェルのスピーチは、こちらです。上記のメッセージは18:00 あたりから。

30年前の、ぼろぼろになりかけた茶封筒は、ファッション史研究をはじめた頃の、忘れかけていたそんな「初心」も思い出させてくれました。偏見や悪意、嘲笑とも闘いながら、淡々と続けているうちに、まったく予想もしなかったことをしていたり(それはそれでエキサイティングでありがたいこと)、「私はいったい何をしているんだろうか?」と迷子気分になることもありました。でも、原点を思い出すことで、「この先」を考えるときのひとつの指針がはっきりしました。2008年のリーマンショック後に各ブランドが「アーカイブ」を見直したときとか、フランス革命で秩序が破壊したときに、ヨーロッパの人々が古代ギリシア・ローマを見直す「新古典主義」に向かったときも、このような感じだったのでしょうか。迷ったときの原点。断捨離しないことで、原点が見つかるというよいこともありますね。古いものを捨てなくても、視点を変え、心の容量のほうを広げていけば、新しいものはいくらでも入ってくるものです(物理的な容量に関しては、悩ましいかぎりですが)。


さて、マリー・クヮント関連のなつかしい資料を見直しているうちに、2013年に日本でも翻訳が出たクワントの自伝を開きたくなってきました。長らく積読状態にしていた本ですが、脳内がクヮントに新たな刺激を受けた勢いで一気に読了。これについては次回に。

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