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紳士の国の秘儀的なルール

Written by 中野 香織September 20,2016

みなさま、こんにちは。

9月1日にBBCで、気になるニュースが報じられました。ロンドンの金融街に就職しようとする労働者階級出身の若者が、面接に茶色の靴を履いていけば不採用になる可能性がある、という報告書の内容です。シティこと金融街は、伝統的に「ジェントルマン階級」と呼ばれる一部の特権階級が支配してきた世界。ここにおいて「ノー・ブラウン・イン・タウン」(シティではスーツに茶色い靴を履かない)をはじめとするいくつかの秘儀的な紳士の掟を知らない者は、排除される可能性が大きいことを報道されたのです。こちらです。

簡単に要旨を紹介します。

❝ロンドンの金融街にはいまだにエリート主義が根強く残り、ごく一部の特権階級やオクスブリッジ(オクスフォード大学とケンブリッジ大学)出身の者のみが了解している「秘儀的な掟」によって、頭脳明晰で聡明なワーキングクラス出身の若者を締めだしている。

「秘儀的な掟(arcane culture rules)」は話し方、アクセント、服装、ふるまいにおよび、たとえば服装においては、「ビジネススーツに茶色の靴を履く」「派手なタイを合わせる」など「洗練されていない」装いで面接に臨めば、いかに能力が高くても採用されることはない......❞

BBCの記者は、「出自や教育に関わらず、能力のある若い人が金融界でも成功できるように望みたい」と正論で締めくくっています。7月に就任したテリーザ・メイ首相も、就任演説で社会の不平等に言及し、「イギリスを少数の特権階級ではなく、すべての人のための国にします」と語りかけたばかり。イスラム教徒サディク・カーン氏がロンドン市長になるほど多様化が進む現代においては、特権階級による意地悪としか見えないこのような不平等など捨て去ってしまったほうが、よほど国益にかないましょう。

しかし。正論は正論としてもっともなのですが、このような時代錯誤的な意地悪というか排他主義こそ、伝統的な「ジェントルマン階級」の文化を連綿と守ってきた要素でもあることを、今一度、思い知らされたのでした。

アメリカでは「ガラスの天井(Glass Ceiling)」を破るべく、ヒラリー・クリントンが健闘しています。イギリスにおいてはガラスの天井よりもむしろ、クラスの天井(Class Ceiling)のほうが堅牢であるように見えます。

FullSizeRender (15).jpg                                                       (Beauliful Shoes made by Yohei Fukuda)

ちなみに、茶色の靴をビジネススーツに合わせるというのはイタリアでは普通に見かけますし、他国でも「面接で履いてきたら不合格」となるほどの縛りはありません。「ノー・ブラウン・イン・タウン」の掟は、伝統的なジェントルマン階級が支配する、ロンドンのシティのみです。では、なぜシティで茶色の靴はだめなのか? 

さかのぼると、ボー・ブランメル(1778 -1840)に行きつきます。黒いブーツをシャンパンで磨いていたという伝説を残すブランメルは、茶色い靴はカントリーで着用する靴であるというルールを定着させ、ロンドンにおいては「ノー・ブラウン・イン・タウン」「ノー・ブラウン・アフター・シックス」の原則を広めていきます。19世紀初頭、社交界に君臨し、当時の国王ジョージ4世(摂政時代)よりもファッションにおける影響力をもった彼は、エリートが集うジェントルメンズ・クラブのひとつ「ウォティア」に入会を希望するナイーブな田舎紳士を拒否するために、こんな理由を挙げています。「彼らのブーツは馬糞と粗悪な靴墨のにおいがする」。

dandy club.jpg(ブランメルがプレジデントをつとめた「ダンディ・クラブ」ことウォティア(Watier's)。1818年ごろの風刺画。Photo from Wikimedia Public Domain)

ブランメルは、靴ばかりか、ジェントルマンの装いのルールや美意識、振る舞い方すべての源流となる方ですが、自分よりも社会的身分においては「上」であったはずのカントリー・ジェントルマンでさえ、このような理不尽な理由をつけてクラブから排除しようとしたのです。なぜ「排除」しなくてはならなかったかに関してはブランメルの出自から始まる長い話になり、拙著『スーツの神話』をご参照いただければ幸いですが、ともあれ、イギリス発の紳士の装いのルールの根底には、常に「排他主義」が匂うのです。


その後、1930年代前後には、エドワード8世(のちのウィンザー公)が、ネイビーのスーツに茶色の靴を合わせるという「ルール破り」をしたことが話題になりました。ルール破りが許されるのは彼が王室のメンバーで別格の洒落者だったから。その後、「ノー・ブラウン・イン・タウン」のルールは静かに根強く残っていたようで、2016年の9月の時点において、いまだにそのルールによる排他主義がニュースになる次第です。

良いか悪いかという問題は別として、異国の部外者が憧れるイギリス的な要素の多くは、やすやすとは入れないジェントルマンズ・ワールドから生まれたものであることも確かです。どうしても太刀打ちできない権威に対する絶望と、それゆえに生じる憧れ。「ジェントルマンズ・ワールド」は、根拠の曖昧なルール、その根底に潜む排他主義、そして現実との絶妙なブレンドでできています。

服の価値を左右する大切な要素

Written by 中野 香織September 08,2016

みなさま、こんにちは。秋冬シーズンに突入し、売り場ではテイラードスタイルが目立つようになりました。

テイラードジャケットの着心地や美しさを決める要素として、カッティングやフィッティング、生地や仕立ての良しあしが、今日もあちこちで論じられております。しかるに、重要な要素でありながら、脚光を浴びる機会がやや少ないのではないかと思われる要素があります。

裏地 (lining)です。裏地に対する日頃の無関心を猛省し償うべく、今日は裏地をテーマにお話しさせてください。「表は地味な色だけど脱ぐと華やか」みたいな「裏勝り(うらまさり)」の話ではありません。「表は木綿だけど裏は絹」みたいな江戸時代の商人の粋の話でもありません。純粋に、裏地の素材についての話です。表からは見えませんが、洋服のプロと呼ばれる方々は、上着の表を見ただけで、あるいは表から少しさわるだけで、どのような素材の裏地を使っているのかがわかると言います。それほど、裏地は表にも影響を与えているのですね。

さて、みなさんのジャケットの裏地の素材表示をご覧ください。「キュプラ(cupro)」と繊維名が表示してあれば、それはポリエステルの3倍価格の上質な裏地です。(あ、「シルク(絹)」は別格です。)

このキュプラを生産する世界唯一の会社が、日本の旭化成です。旭化成はこれを「ベンベルグ(Bemberg)」と呼んでいます。キュプラは一般的な繊維の名前、ベンベルグは商品名、というわけですね。

そんなベンベルグ(キュプラ)の力を具体的に学べるミュージアムを訪れました。東京・神田神保町にある、旭化成プロデュースの「裏地ミュージアム」です。ベンベルグの製造過程から歴史、機能、用途、最新情報にいたるまで、着用体験を含めながら総合的に学ぶことができます。

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実は私もこのミュージアムに来るまで、ベンベルグの本当の原材料が何なのかを知りませんでした。コットンの種のまわりのうぶ毛(コットンリンター)であったとは!

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この天然素材に化学の力を加えることで、コットンのやさしさと化学繊維の機能をあわせもつ強力なベンベルグが生まれました。

FullSizeRender (72).jpg糸の製造は、完全に日本国内で行われています。製織・加工に関しては、国内のほか、一部、海外でもおこなわれています。たとえばイタリアに対しては日本で生産した糸を輸出していますが、製織~加工をおこなうのはイタリアの工場です。
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ベンベルグの機能のすぐれた点を挙げていきます。まず、湿気を吸い取って空中に吐き出す力が大きいこと。これは実際にミュージアムでの実験で確認できます。

次に、触れると冷感があるため、夏は涼しさを感じられること。

3番目、すべりがよいこと。ジャケット、とりわけ袖裏に使うと着脱がなめらかでエレガントになる上、重ね着も快適になります。

4番目、静電気を抑える効果があること。そのため、表地にほこりや花粉を寄せ付けにくくします。この点は私も驚きの発見でした。裏地に静電気が起きると、表地がほこりや花粉を吸着するんですね。ベンベルグ中の水分が静電気を逃がすので、これが起きにくくなるわけです。

5番目、冬場は暖かいこと。湿気を吸収するときに発生する熱エネルギーを逃がさない工夫をすることで、暖かさが生まれます。

さらに、本来、コットンから生まれているので、廃棄すると土に還り、環境にもやさしい。

FullSizeRender (143).jpg実際にミュージアムでは、同じ表地を使いながら、裏地の異なるジャケットを着比べることができます。ベンベルグを裏地に使ったジャケットは心地よく肌に接触し、動いてもジャケットがごわつかず、脱ぐ時ももたつかず、するするとセクシーに(!)脱ぐことができます。

FullSizeRender (142).jpgそんなことを体験してみると、裏地の異なるジャケットを比較したときに、どちらが上質な素材を使っているのか、表からだけ見ても少しはわかるようになりました。裏地の質が、表地の「着心地のよさ」の印象、上質感の違いを生んでいるのです。おそらく、「見ただけで裏地までわかる」というプロの目は、こうした知識と経験を積み重ねて養われていくんですね。

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ベンベルグは表舞台でも活躍しています。インドではシルクに替わるサリーの素材として。また飯田深雪さんのアートフラワーにも使われています。本物と見まがうこの花は、ベンベルグ製。

表からは見えない裏地ですが、それが服の着心地、耐用性、見え方、つまり服の価値そのものを変えてしまうほどの力をもつことを実感したミュージアム体験でした。人にもまた、表からは見えない裏地があるとすれば......それは生活習慣でしょうか。質を上げていくと、表の見え方まで変わってくるし、逆に見る目をもつ人が見れば、表だけ取り繕っていてもたちまち見抜かれてしまう。......なんてことまで考えさせられました。

IMG_3547 (2).JPGミュージアムの人気者、ベン・ベルグさんと記念写真。「イタリア人が考える日本人テイラー」をイメージした人形です。ファッションの勉強のために来場する女子高校生に「かわい~」と大人気とか。

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