Written by 中野 香織August 15,2015
先日公開しました「スーツの袖口からシャツをのぞかせる理由」の記事につき、さっそく読者の方々からたくさんのご意見・ご感想が届きました。
なんとありがたいことでしょうか。
そのなかからおひとかた、かいしんさまのコメントを、ご本人の了解を得て、紹介させていただきます。
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「スーツの袖口からシャツをのぞかせる理由」はと問われれば、
私は、大切なスーツの袖口を自分の汗や皮脂から守るため、
そして、そのようにしたほうが美しいからだと答えます。
上着であるスーツが肌に触れて汚れるのを防ぐ、それが、下着である
ドレスシャツの役割の一つだと考えております。
しかし、もちろんそれだけではありません。白しか着ないのも、
弔事用以外のものはすべてダブルカフスにしているのも、
細い糸を使用した光沢のある生地を選ぶのも、
そして、離れたところからでも見ていただけるように出しているのも、
美しさを際立たせるために他なりません。
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そのほかのご意見の大半も、
「カフスを出すのも、襟を出すのも、スーツを守るためだと思っていた」というものでした。
現代において日常的にスーツを着る方の感覚では、それが自然で合理的なのですよね。
かつては、「汚れる心配がないから(=手元を汚すような仕事をする必要がないので)高価な白いリネンをふんだんにのぞかせてます」という階級(ないし富)のアピールのためにつけられた袖口のリストラフやフリルやカフス。
現在は「スーツを守るべく毎日汚れますが、汚れても常に白さを維持できる財力と美意識があります」と暗に語る部分へとスライドしたと見るべきでしょうか。カントリーウォッシング(水のきれいなカントリーで洗濯をする)を提唱したブランメルの頃から、この発想はすでにあったわけですが。
ただ、「スーツを守るため」とはっきりと公言されたのは、スーパーストレッチウォッシャブルスーツの説明を聞いたときが初めてでしたので、驚いた次第でした。
さまざまなご意見・ご感想を伺いながら考えを修正していけるというのはウェブならではの醍醐味ですね。
ありがとうございました。
Written by 中野 香織August 12,2015
前項で見たように、西洋の男性は、近代スーツが誕生する以前からの慣習、<上着の袖口から白いシャツをのぞかせる>という伝統を延々と踏襲してきたのです。その理由は、リネンのシャツが高価であったゆえの富の誇示であり、「手元を労働で汚す必要がない階級であることを示すため」というものでした。
ところが、そのような服飾史上の「常識」というか「伝統的な理由」を覆してしまう、衝撃の出会いがありました。
日本全国にチェーンストア展開をする、ある有名会社のメンズスーツ担当者とコラボレーション講義をおこなったときのことでした。
その会社は、自社ブランドのスーツも企画し、作っています。手ごろなラインからやや高級なラインまで幅があるのですが、担当者いわく、もっとも売れ筋にあるのが、29800円のスーツ。スーパーストレッチ素材でできているうえ、自宅での洗濯も可能なウォッシャブルスーツです。ツーボタンでぴったりと身体に寄り添い、上着丈は短め。トラウザーズも細身で、クラッシュもわずか。いまどきの若いサラリーマンがよく着ている、まさにワークウエアとしての機能に徹したスーツなんですね。
スーツの美学にうるさい方は、ウォッシャブルスーツなんてスーツの範疇に入れるなとおっしゃいますし、社会的な立場のあるクライアントを相手にするスタイリストの方々も、ウォッシャブルスーツや化繊の割合の多いスーツには手を出すなと助言なさいます。それも、もちろん一理あります。熟練職人が手がけるスーツといっしょくたにするつもりはありません。天然素材のキレのいいカッティングのスーツや最上級素材を使ったシャツを、悠々と手入れをしながら身につける優雅なスーツ世界の伝統は、これからも守られていくでしょう。
それはそれとして、一方で、もっとも売れているスーツが29800円のワークウエアとしてのスーツであるという、まぎれもない現実がある。そうなんですよね、いまどきの「スーパースーツ」は、ワークウエアでもあるのです。手を汚さない階級の服であるどころか、書類の山と格闘しているうちに手のまわりは自然と黒っぽく汚れていきます。
このような勤労者が着るいまどきのスーツにおいて、袖口からシャツをのぞかせる理由とは。
「スーツの袖口を守るために、シャツのカフスを出しておくのです。そうすれば、先にカフスが痛んでくれますので、スーツは守られます」
29800円のスーツを守るために、さらに安価なシャツをどんどん着つぶしていく。シャツのカフスはそのために1.5センチ出す。
担当者さんのこの説明を聞いたときの、歴史家(わたしですね)の衝撃ときたら。連綿と続いてきたスーツのルールを裏付ける歴史的な理由をあっさりと覆す、超合理的な理由。なんてアナーキー。しかし冷静に考えてみると、リネンが財産目録に記されていた時代は遠い遠い昔、いま、シャツは(たとえ高級素材で作られていようと)どちらかといえば消耗品です。この理由<スーツの袖口を守るために、シャツを出しておく>は、高級スーツの世界にも適用可能であるように思えてきました。
というか、これが衝撃だったのは私がおもに歴史本を中心に読んでいたからで、最近の着こなし読本には、むしろ、「新しい」理由のほうがふつうに説明されているのかもしれません。不勉強でしたら申し訳ありません。回り道であったにせよ、細心の超合理的理由を学べたことは幸いでした。
それにしても、29800円のスーパーストレッチウォッシャブルスーツには考えさせれました。日本人は、現実の実情にあった合理的なスーツを考案して世に出し、支持を受けている。「本場」イギリスで生まれたスーツの形式的なシステムやルールは遵守するけれども、素材も、ルールを裏付ける理由も、この国の必要と実情に合った形で自由に作り替える。そんな「世界標準服」とのしたたかなつきあい方に、心ひそかに感嘆します。少なくとも、このようなスーツの取り入れ方は、西洋の論理にまったく媚びてないという点で「帝国主義」には屈していない。いやむしろ、日本のほうが西洋のスーツ文化を都合のいいように流用している「帝国主義的」なふるまいをしていることになります(笑)。
それにしても、理由なんていかようにもくっつけることができるんですね。スーツをはじめとする多くのメンズファッションには、起源物語がありますが、意外と後付けが多かったりするのかもしれません。とにかく男性には「理由」や「物語」が必要なので、新アイテムを世に出すにしても、売り手がなにかしら「理由」を考案しています。
スーツの袖口から白いシャツをのぞかせる理由、私の直感ではごくシンプルなんです。ただ単純に、美しく見えるから。首と、両手首、この三か所に少量の白がバランスよく配されていることで、手が顔の近くにくるときも、遠くから全身を眺めた時も、とにかく華やいで見え、清潔感を感じさせるうえ、おさまりがよいのです。一人の女としてスーツを見るとき、正直なところ、それ以上、何も理由はいりません。
(写真は、スーパースーツの広告より)
Written by 中野 香織August 11,2015
みなさま、こんにちは。ご縁あって一年間にわたり本コーナーに書く機会をいただきました。
古代から来シーズンまでの男女ファッション史を研究する立場から、メンズファッションにまつわるささやかな発見や驚き、あるいは素朴な疑問などを、率直に書いていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。
7月の上旬に、ボストン美術館のキモノウェンズデー中止事件がありました。
詳しい経緯は私のホームページに紹介してありますのでそちらをご覧いただければ幸いです。要は、キモノの海外マーケット開拓という目論見もあったキモノ試着イベントを、アジア系アメリカ人の抗議団体が妨害したのですね。日本の伝統文化であるキモノを、その本来の意味も十全に伝えず、適当に試着させて写真を撮らせるだけとはなにごとか、「帝国主義的、白人至上主義の人種差別であり、文化の盗用である」というのが抗議の理由です。
差別されてる意識などかけらももたない私たち日本人にとっては「はあ?」というピントがずれた理由でもあり、表向きの理由以上の政治的な理由もにおうので、ここでは複雑な議論はすべてとばします。
キモノ産業にとって死活問題となるのは、この事件を機に、良心的なアメリカ人が「キモノを着ることは文化の盗用にあたるのか?」と、臆してしまうこと。せっかくの海外マーケットがそんなことでしぼんでしまっては困りますよね。「文化の盗用などということはない!キモノは誰でも好きなように自由に着てよいのです」と国内キモノ産業に携わる方はアピールしました。
ひるがえって、ふと思います。西洋人がキモノを自由な解釈で着てよいのだとすれば、日本人だってスーツを自由な解釈で着てよいのではないか?寒冷な地域で完成したスーツの決まりごとを、なにゆえ亜熱帯の日本で遵守しなくてはならないのか? (おもに)イギリス人が決めたスーツのルールを、かたくなに「本場はこうだから」「世界基準になっているから」という理由で厳守しているほうが、はるかに、「帝国主義的(白人文化の優位を認める、こちら側の植民地根性まるだし)」ではないのか?と。
それを議論しだすと話が大きくなりすぎるのでここでは控えます。結果として、スーツは一定のルールがある一種の制服のようなものとして世界に普及してしまっていますし。とりあえずここでは、スーツをそのような特殊な世界服であるということを前提として受け止めたうえで、そのルールをめぐり、最近出会った興味深いエピソードをご紹介します。
スーツの着こなしにまつわるルールには、歴史の裏付けがあります。歴史を踏襲しているということ、そのことじたいがスーツの権威の根拠となっているんですね。
そんなふうに歴史をひきずるルールのひとつに「スーツの袖口から、下に着ているシャツの袖を約1.5センチのぞかせること」というものがあります。数値に関しては、諸説ありますが、とにかくちょろっとシャツをのぞかせる。これはなんのためなのでしょうか?
近代スーツがまだ生まれていない何百年間も前から、西洋世界の貴族や支配階級の方々は、男女とも、白い下着を上着の袖からのぞかせてきました。あるいは、あえて、白いカフスだけを手首にくっつけることさえしました。リネンの下着が財産目録に記録されるほど高価でしたので、それをわざわざ汚れやすい手元にもってくることで、「手元を汚す労働をする必要がない階級である」ことをわかりやすく示していたわけですね。エリザベスI世の寵臣だったレスター伯ロバート・ダドリーの肖像。1560年ごろです。ダブレット、ジャーキン(ベスト状に見える上着)、そしてホウズ(ちょうちんブルマ状の半ズボン)が宮廷に行くときの正装。首元には糊付けされたラフ、手首にはリストラフ(カフスの前身)をつけています。作曲家、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル。ドイツ生まれですがイギリスに帰化しています。袖口には白いフリルがたっぷりあしらわれたシャツをのぞかせています。1749年ごろ。そしてこれは19世紀初頭に誕生した近代スーツに、「ダンディズム」をもちこんだ男、ジョージ・ブライアン・ブランメル。より正確には、彼の生涯を描いたBBC4製作のテレビドラマ「ボー・ブランメル:かくも魅力的な男(Beau Brummell; This Charming Man)」からのワンカットです。冒頭に、スーツをゼロから着つけていくドラマティックなシーンがありますが、そのシーンでも、ブランメルは指の関節一つ分の幅のカフスを、上着の袖口から引っ張り出しています。ちなみにこの映画は2006年に製作されたなかなかの佳作なのですが、せめて日本語版のDVD発売を強く望みます!
......≪To be continued......長い伝統をもつこのルールを裏付ける理由がどのように変わっていったのか? 次の記事で記します≫
(レスター伯とヘンデルの肖像画の写真は、ウィキメディア・コモンズより)