Written by 中野 香織April 28,2016
風薫る季節になりました。
今日は風に吹かれるまま、服の話題を離れて少し目を遠くへ向け、投資という視点を通して、モノの価値について考えてみたいと思います。
考えるきっかけを与えてくれたのは、イギリスの老舗投資会社スタンレー・ギボンズ(Stanley Gibbons)です。1856年創業の同社が、日本でもビジネスを開始することになり、勉強会にお招きいただきました。
同社が扱うのは現物投資、しかも切手とコインなのです。投資・利回り・資産価値といった単語には全く無縁の人生を送ってきたわたくしではありますが、紳士ワールドに必ず見え隠れする切手とコインの話となれば、がぜん興味がわきます。
創業者のエドワード・スタンレー・ギボンズ(1840-1913. Photo from Wikimedia Public Domain)。イギリス王室のエリザベス女王も顧客なので、会社のHPにはエリザベス女王の御用達証が掲げられています。
オフショア投資に関するメリットと注意事項、投資とリスク&リターンに関する一般的なお話が最初に続き、経済に疎い私にはピンと来ないところもありましたが、面白かったのが、「あなたは、いつガソリンスタンドへ行きますか?」という話。まだガソリンが半分以上残っているのにスタンドに行く人はリスクをとりたくない保守的な人。E(空っぽ)ぎりぎりになってようやくスタンドに行く人は、チャレンジ精神が旺盛な人だそうです。おお、なるほど! ここだけウケて感心していた私は明らかに場違いでした......。さて、いよいよ、スタンレー・ギボンズ社が投資の対象として扱っているアレキサンダー大王の金貨や、ジュリアス・シーザーの銀貨など、実際に手に取り、触らせていただきました。ドキドキ。日本の古いコインも扱っています。
ユニークというか、いかにもイギリス的だなと思ったのが、1976年発行のスタンプです。13ペンスの切手なのですが、ミスプリントのまま何枚か流通してしまいました。それが稀少である(=価値がある)とのことで、高値で取引されています。現在、135000ポンド。って2200万円。エリザベス女王もこの切手を所有していらっしゃるそうです。
左の切手には、「13p」が印刷されていません。ミスプリントなのです。
こちらの切手にも、125,000ポンドの値がついています。
莫大な資産価値をもつ切手やコインの数々を実際に手にしてみたあと、一応、質問してみました。切手やコインが本物なのかどうか、どうして保証できるのか? あとから贋作をつかまされたと判明して「財産を失う」ことになる......なんてことはないのか?と。
それに対してのお答えです。スタンレー・ギボンズ社では、鑑定の専門家が本物であると認めたもののみに、スタンレー・ギボンズの保証書をつけて販売する。この保証書があれば決して、買い値以下に値下がりすることはない、と。
なるほど。
モノそのものの面白さや稀少性の価値も含めた、投資の対象としての切手とコイン。孫の代まで残す財産として、こういう世界もあるのですね。あらゆる文化や芸術は、経済の支援あって栄えることが少なくありませんが、切手やコインの世界においてもまた。
投資価値という視点を入れてモノを見るという新しい学びの機会でもあったのですが、ひるがえって、人はどういうことに投資したくなるのか、なにが投資価値をもつのかについて考えるための、大きなヒントもいただきました。
1.本物であること。少なくとも、本物であるという確実な保証があること。
2.時の経過とともに増す魅力をもつこと。
3.稀少であること。たとえそれが「欠点」であっても稀少性という宝にはかなわない。
投資とは、お金を注ぐことばかりではありません。時間、情熱、愛を注ぐこともまた投資。レアな切手に投資はできなくとも、少なくとも、投資される人になりたいものだ、と勉強会の趣旨とはまったくズレた感慨にひたった春の夜でした。
Written by 中野 香織April 08,2016
あっという間に桜も終わろうとしておりますが、みなさまお健やかにお過ごしでしょうか。
しばらく間があいてしまい、ごめんなさい。
5月発売の新刊の最後の詰めにエネルギーと時間を注ぎ込んでおりました。
タイトルは『紳士の名品50』(小学館)。
紳士になりたいあなた、すでに立派な紳士であられるあなた、パートナーを紳士に育てたいあなた、あるいは紳士など無関心だけどたんにモノ好きのあなたのために選んだ名品50を、エッセイとともにご紹介するカラフルな本です。装丁やブックデザインも、思わず、ふふ、と笑みがこぼれそうな洒落た本になります。もちろん、名品50の中にはフェアファクスのネクタイも入ってますよ。
どうぞお楽しみに!さて。あちこちで話しているのですが、いっこうに盛り上がらないので、こちらでも声を大にして申し上げます。
今年は、スーツ生誕350周年という記念の年です。
350年ですよ? 次の節目まであと50年。もう生きてない可能性大です。であれば大きな節目である今年のうちに、メンズファッション愛好家および関係者のみなさま、そうでなくても日頃スーツのお世話になっている男性のみなさまは、盛大にお祝いをすべきではありませんか?
お祝いイベントの計画を立てる前に、まずは、350年前にいかにしてスーツが誕生したのか、おさらいをしてみましょう。
時は1666年10月7日、舞台はイギリス。
この日、英国王チャールズ2世が、衣服改革宣言を発しました。
「余は新しい衣装一式を採用することにした。この衣装は、もう変えることはない」
この宣言により、宮廷服が一新され、男性のスリーピーススーツの祖先が誕生しました。
(根拠となるサミュエル・ピープスの日記。1666年10月8日付。「昨日のこと」として衣服改革宣言を記録する。「ヴェストが導入される。これは貴族に倹約を教える服になる」と。The Diary of Samuel Pepys. Vol.VI. George Bell & Sons, 1904)
とはいっても、上着の丈は長いし、下半身はブリーチズ(半ズボン)だし、長髪のかつらはかぶっているし、ハイヒール履いてるしで、現在のスーツのイメージとは似ても似つかないのですが。
ポイントは、スーツのシステムにあります。この日、ヴェストが導入されることによって、上着(コート)+ヴェスト+下衣+シャツ+タイという構成要素からなるイギリス発のスーツのシステムが誕生したのです。
(King Charles II with English statesman and writer Mr. William Temple, by Mr. J Parker)
それ以前はいったい何を着ていたのでしょうか。イギリス服飾史の古典、アイリス・ブルックのイラスト本を参考にしてみましょう。1650年から1660年の流行スタイルのページです。胸元にも手元にもレースをたっぷりあしらい、丈の短いジャケットからはシャツがあふれだし、リボンやファーも多用しています。帽子、袖口、さらにはカールした髪にいたるまでリボン。
(Iris Brooke, English Costume of the Seventeenth Century. A.&C.Black, Ltd. 1934)
上のカラーイラストの男がとりわけお洒落な男だとすれば、もっと一般的な男の描写が下のモノクロのイラストの男たち。いずれにせよ、丈の短い上着からシャツがあふれだしていますし、レース使いも過剰、ブリーチズ(下衣)のボリュームもたっぷりすぎるように見えます。
それが、1666年のチャールズ2世の衣服改革宣言の後、次のようになります。1670年から1680年のスタイルのページ。下に着ているヴェスト(当時の新アイテム)も、上のコートも、丈が身体に沿って長くなっているのがおわかりでしょうか。上のスタイルと比べると、全体の印象は、はるかにすっきりとシンプルになっています。
(Iris Brooke, English Costume of the Seventeenth Century. A.&C.Black, Ltd. 1934)
ではなぜこの時期に、チャールズ2世は衣服改革宣言をおこなったのでしょうか?
ごくかいつまんでいえば、それに先立つ1665年にはペストが猛威をふるい、1666年にはロンドン大火事が起き......とイギリスには災いが続いていました。どこかに原因をもとめて非難の矢を向けたい国民の不満は、宮廷に向かいます。災厄が続くのは、女道楽に耽溺する国王とその宮廷への天罰だ、という声も噴出します。それに対し、まずは衣服をすっきり刷新することによって、視覚的にわかりやすく、宮廷改革をアピールしようという目論見もあったのですね。
上着(コート)+ヴェスト+下衣+シャツ+タイ。この組み合わせで作る男の正装がほかならぬスリーピーススーツのシステムの原型となり、さまざまな試練の洗礼を経て少しずつ形を変え、現在に至るまで脈々と受け継がれているわけです。その間、女性のファッションシステムはほとんど変わりません。20世紀の初めまで延々と、コルセットで締めあげたボディに、下半身のシルエットを覆い隠すフルスカートのバリエーション。男性服のほうがはるかに敏感に社会の変化を反映しながら、前時代のなにがしかの痕跡をオマージュとして引き継ぎつつ、伝統を途切れさせることなく未来へと続いていく。はるかにスリリングではありませんか。スーツを着る男性は、敬意に値するそのような服を身にまとうことを誇らしく思っていいのです。そしてせめて心の中で祝いましょう、350周年を。