WASHIDA KIYOKAZU
July 23,2012
鷲田清一
哲学者、現在、大谷大学教授。80年代から90年代、現象学、身体論などの視点からファッション論を語る。
日経夕刊に読む、鷲田清一さんに聞く ”モード、もう魅力ない?”
< 60年代から80年代末までず~っと、日本にはある意味とんがったファッションが存在した。たとえばミニスカートによって女性は大股で歩くようになり、男に品定めされずに自分の体と対話しながら服を主体的に着るようになった。
男性もがんじがらめの性意識から少しずつ解放され、それがヒッピーなどにつながった。
80年代のDCブランドブームでは、自分のライフスタイルや価値観をモードという記号で競いあった。しかし、90年代にバブル経済がはじけて人々の消費感覚が変わり、モードや新しさへの強迫観念から下りて、気張らずに服と戯れるようになった。>
< 右肩下がりの時代にはもう、”ネクストニュー”という感覚に心はなびきません。心地よい暮らしのために、服は食べ物や本、友達、環境への意識などと総合的に自主編集していくための一つにかわってきた。
モードに振り回されることが少なくなった分、衣食住ともに、自分の心と体に聞いたささやかな感覚を大事にするようになってきた。まっとうで、素材にも敏感で、良い感じです。>
< かってモードを支えていたのは、作り手を含めて、群れず、流されず、社会との違和感を大事に示していこうとする人たちでした。服ってこんなにお行儀がよくていいのかと。
服飾の歴史の流れからみれば自然なのかもしれないけれど、やはり悪趣味な物、B級も必要なのでは。もっと、刺激してよ、突っかかってきてよ、とね >
洋服つまりスタイルがかっこよさの一番手ではなくなった今、上記のお話に耳をかたむける人は少なくなったとは思いますが、その人の醸し出す雰囲気には、スタイルは欠かせないと思います。
昨今、服装に無頓着な(もしくは、わざとそう見せて大衆の眼をそらす意図?)リーダー達。被災地訪問の際、少々の土木仕事もしないのに防災服?に身を隠す?これはおかしな風景だと、思うのですが?
(スーツにヘルメット姿で、現場でしっかりとした方針を打ち出す強いリーダー像をみてみたいかな?)防災ルックは被災地の皆さんとも同じ立場ですよと伝える手段でしょうが、特にへりくだっていただかなくても指揮系統をしっかりしていただければいいのでね。
なぜか日本によく見る風景ですが、世界レベルの企業リーダーでも会見などの際、社員とおなじ作業服を着ていますが、あれも同じような観点からの考えでしょうか?工員と同じ服を着ても、作業をするわけでもないのですから、所詮似合わないですし、ここはやはり、オノレの仕事である方針決断するときの服であるべきではないでしょうか。そう!オバマスーツです。
日本国の様々なリーダー様には、確固たる男のスタイルを示していただき、若者にこの国の未来への可能性を訴え感じさせて欲しいものです。そのためにも、スタイリングには視覚から訴えるという効果があります。(信長と比較するのは、チョットかわいそうかな?)
難しい話は、このブログには似合わないでしょうから、口直し。
ジョニーデップが仕立屋さんにからかわれ、掛け合いをする面白い画像が、Uチューブに出ていましたので、共有。