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AKA DOC POMUS

Written by 慶伊 道彦October 28,2013

映画 "AKA DOC POMUS" / 別名ドグ.ポーマス

このドキュメンタリー映画を見るまで、ドグの事は知りませんでした。
多分、多くの音楽ファンも知らなかったのでは?
ユダヤ人という白人なのに、ブルースを歌う。それそのものが逆境なのに、
子供の頃から小児麻痺で足が不自由の車いす生活。
しかし、実に心の広い人だったのでしょうか。あのボブディランやルーリードが
音楽の相談に行っていたという事実。また、エルビス・プレスリーから、BBキングまで
幅広く、たくさんのブルース歌手の作曲作詞を手伝っていたのです。
知らなかった~~!
映画では、その中でも以下のシーンに特に感銘を受けました。

以下、抜粋コピー
ドク・ポーマスとジミー・スコットは共に生まれが1925年で、1ケ月と離れていない。
'45年、白人ブルース・シンガーであったドクがジミーの出演していたニューヨークのクラブ「ベイビー・グランド」に聴きに来て、ステージが終わると訪ねてきた。
小児麻痺を患い脚の不自由なドクは脚に装具を付け松葉杖をついていたが、
ニューヨークに不案内なジミーをあちこち案内して回ってくれたという。
30歳を過ぎてドクはソング・ライターに専念し、様々なヒット曲を生む。
後年、ジミーの活躍の場が少ないことを知ると、ビルボード誌に寄稿。
「長い間、消息不明であったジミー・スコットが2年前に姿を現した。
彼の歌は昔と変わらず素晴らしかった。健康そうだが、食べていくのがやっとの状態。
...バラードを歌わせたら彼の右に出る者はいないだろう。きっと活躍の場があるはずだ。彼はもう62歳。彼が逝ってしまってから葬式に参加して、
いかに偉大な歌手だったか語り合っても遅いんだ。」と書いた。
ジミー・スコットをなんとかしたいと、レコード会社に手紙を書いたり電話を
かけたりして表舞台への復帰に尽力した。

3月17日、ニューヨークの The Riverside Memorial Chapel で執り行われたドクの葬儀で、
ジミーはガーシュウィン兄弟の名曲「 Someone To Watch Over Me 」を歌う。
ドク自身がジミーに歌って欲しいと言い残しておいた曲だった。
それがあまりにも感動的であったので、列席していたワーナー傘下サイア・レコード社長が感銘を受け、レコーディングを即断したという。
「天使のような歌声が説教壇から流れて来るんだが、私のいるところからは小柄な
彼の姿は見えなかった。しめやかな葬儀の席で、あの声に打ちのめされてしまった。」
とスタイン社長は語っている。スタインはさっそく翌日にジミーを訪れて契約を申し出、
実際にリリースされたのは3枚だったが、『 All The Way 』('92)を皮切りに、『 Dream 』('94)、『 Heaven 』('96)とメジャー・レーベルでの復活を遂げ、幅広い活躍につながっていく。

「まるでドク・ポーマスが天国へ旅立つ直前に、ジミーを助けたいという彼の思いが実現したかのようだった。」
 ーーーJIMMY SCOTT Fan Site より抜粋しましたーーー

ドキュメント映画全盛という感の昨今ですが、またまた名作ができあがった!
日本での封切りでは、もう一度見たい映画です。
NY、1930年代~60年代のNYのダウンタウンの写真も、秀逸です。


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