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IVY VIEW 13 FALL

Written by 慶伊 道彦November 04,2013

IVYスタイルは、まずは僕達の経験則から、VANを中心にと考えますので、
どうしてもアメリカのブルックスブラザーズの50年代のスタイルから始まると考えがち。
確かに、大衆消費社会が来て、銀幕スターのIVYスタイルに憧れるようになり、
マネをするのに一生懸命だったのはこの頃でしょうか。
のっぽ物語や、マンハッタン物語、ティファニーで朝食を、
卒業、ある愛の詩、フロントページ、ボーイハント、、、、、

でも、実は30年代には ”IVYリーグスタイル”が、もう存在していました。
本家ブルックスブラザーズは、勿論ショップはありましたし、
”ギャッツビー”を書いた小説家スコットフィッツジェラルドは、プリンストン大学卒業なのですが、”楽園のこちら側”という小説の中ですでに、アイビーリーグスタイルについて書いていますから。 ”皆が彼のようなスタイルをして彼と同じ話しぶりをしようと努め、、、”
IVYと言う言葉には、エスタブリッシュメント、保守性、不変性、などの意味合いが隠されていて、アメリカのアッパークラスを指すのに最適な表現といえます。

上流階級は勿論ですが、そこに入り込もうとする人や憧れる人にとっても
IVYスタイルを一カ所のミスもなく完璧に身につけることで、ディティールをなぞることで、実に上流らしく振る舞うことが出来たのです。

そのスタイルのアイコン店がブルックスであり、後のPOLOです。
ですから、ブルックス本店のあるマジソンav.44th辺りから上に向かって、IVYテーストのショップが固まっていました。マジソンルックと言っていた時代もありましたから。

ある意味、80年代のプレッピーブーム終焉まで、IVYにアッパークラス感覚なスタイルを求めていたと思います。上記のごとく。

話は、突然変わりますが、僕のNY経験の話ですが。
80年までは、40丁目から下には行ったことがなかったのです。
お話ししましたように、IVYショップもなかったですから、リサーチも必要なかったですし。
(17丁目のバーニーズとブレーカーst.のPOLOは別)
それが、ひょんなことからイーストヴィレッジに友人が出来き、致し方なく訪問することになったのですが、、、
当然、僕のスタイルは、鉄板!ブルックスブラザーズ風ルックです。
ミッドタウンでは全然OKだったそのスタイルが、ダウンタウンでは突然、ういちゃい、
パニックに近い感じを受けたことを今でも覚えています。
ホーボールックに近い古着スタイルの人達の中ですから、当然ですよね。
(参ったなぁ~~ヤレヤレって感じ)


今回のIVY復活は、プレッピー以前とは明らかに違います。
それは先ほど僕の体験談からお話ししたダウンタウンからIVYの復活と革新が始まったという点です。そこに社会状況の変化を捉えられます。
上流をめざす為のスタイルではなく、アメリカらしくいこう、というとらえ方です。

NY.ダウンタウンに、ここ5年程沢山のIVYなメンズショップが出来ていますが、
IVYがアッパークラス指向ではなくてヘリテージ(継承)、
昔の良い時代の良さを見直そうゼ! つまり、MADE in USA
IVYも皆に愛されるようになって、半世紀!アメリカの文化遺産。
大衆に認知されるようになったという変化が、IVYにアッパークラス感覚よりは、
ディリー感覚、そういったものを求めている、こう言ってもいいのでは。
階級からというより、むしろ感覚的。極めて貧しかった時代の労働者側からの発想。

日本生まれのラギットアイビーと言う言葉は、そう言った意味では、ピッタリの言葉です。

今のIVYは、蘇ってから5年ほど立ちますが、
プレッピー以前のアッパークラスを指向するIVYと、2010年以降のヘリテージな
IVYが並列で影響し合いながら、次のステージへと向かうことでしょう!

―――伊勢丹トークショーより―――

CLASS IVY
whiffenpoofs-1927.jpg

jp1 j.press.jpg


HERITAGE IVY
gq-12-style-01.jpg

gq-12ss-02.jpg
引用写真です

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エッセイスト/服飾史家/
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