Writed by 伊知地 伸夫March 01,2018
今回は僕の大好きなテナーサックス奏者の
ハンクモブレーを紹介します。
50年代のハードバップシーンで活躍し、
ハードバップの申し子と言われていたハンク モブレー。
ブルーノートは彼のリーダーアルバムを年4枚のペースで発表していました。
何故好きかと言うと、彼のテナーには優しくあったかさも感じとれたからだと思います。
非常に聴きやすく(初心者でも聴きやすいと思います)、歌うようなアドリブが格別です。
名曲も沢山残しておりますが、僕は60年代のRecado Bossa Nova (Dippin 1965年)や
Carolyn(No Room for Squares 1963年)などが大好きです。
皆さんも是非とも聴いてみて下さい。きっと気に入ると思います。
そして、そしてレコードジャケットのカッコ良さがピカ一なんです。
デジタル音源が全盛の今ですが、最近レコードが売れているニュースをよく耳にします。
僕の時代はレコードしか無くて、LPを買う決め手は
ジャケットのカッコ良さも重要な部分を占めていました。
レコードに針を落として音楽を聴きながらジャケットを眺め、
裏のライナーノーツを苦労して訳し、
またジャケットを眺めるの繰り返しでした。
そのひと時が僕にはたまらなくて、今では懐かしい思い出です。
ブルーノートのレコードジャケットは長きにわたり、
リード マイルスが作ってきて、レコードジャケット界に新風を吹き込みました。
その中でもハンクモブレーのアルバムジャケットはかなりカッコイイと思っています。
30年ぐらい前でしょうか??
弊社の取引先の某都市銀行のショーウィンドウを
弊社のネクタイで飾ったことがありました。
その時のディスプレイにもハンクモブレーのレコードジャケットを
飾ったのを思い出します。
同じテナーサックスのソニーロリンズのような骨太さや、
ジョン コルトレーンのような豪快さが無く、
この2人に比べてテクニックがあったわけでもないですが、
何故か目が離せないというか、気になる存在でした。
60年代に入ってからはファンキー色が濃くなって、更に人気も上がっていきます。
彼のジャズに対してのまっすぐな気持ちは一向に揺らぐことがありませんでした。
(画像は全て引用)
Writed by 伊知地 伸夫February 18,2018
僕の好きな女性ボーカルの愛聴盤を紹介します。
ジャズを聴き始めてかなりの年月が経ちましたが
意外とボーカルアルバムは聴いていませんでした。
ずっと昔にビリーホリデイやニーナシモンのレコードをコレクションしていたぐらいで
ほとんど聴いて来なかった女性ボーカルですが、
ある日CDショップで目に入ったのが、この二コレッタ セーケという女性シンガーでした。
全く無知な僕は「誰だ‼︎ この美人は」と思わず紙ジャケットCDを買っていました。
ニコレッタ セーケ I Thought About You
ハンガリー出身の美人人気シンガーです。
このアルバムは2015年にリリースされて、いまだにロングセールスを
続けているアルバムです。
今までのポピュラー寄りから、ジャズに近づいたアルバムで
王道のスタンダードナンバーを同郷のロバート ラカトシュ トリオをバックに歌い上げています。
ジャケットの美しさに負けないくらいチャーミングな歌声を聴かせてくれますよ。
なんて可愛らしいんだろ~。♡
マリア BLCK ORCHID
マリアはアフリカ南東部のマラウイ共和国でイギリス人の父と
マラウイ人の母の間に生まれ、少女期にロンドンに移住し、
ビリーホリデイやニーナ シモンに影響を受けたジャズシンガーです。
このBLACK ORCHIDはニーナ シモンのトリビュート・アルバムで、
I Put A Spell On YouやBaltimoreをはじめとするニーナの名曲や
ビリーホリデイのDon't Explainなどが収録されています。
僕はこのDon't Explainをラジオか何かで聴いて、調べまくってやっとマリアにたどり着いた次第です。
オリジナルとは全然違うマリアの世界が楽しめます。
メラニー・デ・ビアシオ NO DEAL
あのベルギー出身の歌姫で、ベルギーのビリーホリデイ、ニーナシモンと評されています。
このアルバムは音がシンプルでちょっと暗い感じになってしまうのですが、
何故か心にじぃ~んと入り込んくるんです。
病みつきになってしまいました。
あのジャイルス ピーターソンがREMIXしたアルバムも発売されていて、
かなりの注目株の女性シンガーです。
マデリン ペルー Careless Love
最後は最近一番のお気に入りのマデリン ペルーです。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
僕最は最近まで彼女の事をまったく知らなくて、去年発売されたチャーリーパーカーの
トリビュート アルバムThe Passion of Charlie Parkerの一曲目に入っているOrnithologyを聴いて
歌っているマデリン ペルーの虜になってしまいました。
日本にも何度か来日してライブを行っていました。
彼女も僕の大好きなビリーホリデイを彷彿させるようなブルースフィーリングを持っていて
ノスタルジックな世界を繰り広げてくれています。
The Passion of Charlie Parker
今回は4人の女性シンガーを紹介しましたが、
ニコレッタ以外は僕の好きなビリーホリデイ、ニーナ シモンに影響をされたシンガー達です。
そして4人とも世界的に注目されているシンガーで新作も発表しています。
今回紹介したアルバムは発売されてから少し時間が経っていますが
僕は彼女たちのベストアルバムだと思っています。
そしてThe Passion of Charlie Parkerでは興味深い沢山のシンガーが参加しています。
みんな素敵ですので、是非とも一度トライしてみて下さい。
(写真は全て引用)
Writed by 伊知地 伸夫February 09,2018
JAMAICAN JAZZ
某有名CDショップに市場調査?に行って来ました。
REGGAEコーナーでJAMAICAN JAZZの特集をしていました。
寒い日が続いているので暑いお国が羨ましいですよね〜。
ここで今回はJAMAICAN JAZZについてです。
ジャマイカ出身のジャズミュージシャンは数多くいて、
あのウィントンケリーが有名です。
現在はピアノのモンティ アレキサンダー、
ギターのアーネスト ラングリンなどが活躍しています。
UKサックスのコートニーパインもジャマイカ系英国人(両親がジャマイカ出身)です。
WYNTON KELLY
ERNEST RANGLIN
MONTY ALEXANDER
COURTNEY PINE
レゲエはブラックミュージックがルーツで
ジャズ、リズム&ブルース、カリプソなどの要素を
ジャマイカのミュージシャンが取り入れて発展させました。
その中でもSKAが一番ジャズ的な要素を持っています。
ジャズも原点はブラックミュージックですので
意外と共通点があるんだなぁとひとりで納得していました。
だいぶ前の話ですが、ブルーノート東京のライブを思い出しました。
その時のメンバーはアーネスト ラングリン(ギター)、
モンティ アレクサンダー(ピアノ)
ロビー シェークスピア(ベース)、スライ ダンバー(ドラム)でした。
(BLUENOTE東京にて撮影)
アーネスト ラングリンは1932年生まれ,
現在85歳の現役ミュージシャンで
SKAの誕生にも関わっているジャマイカのギター界のパイオニアです。
今もバリバリの現役で、南国ムードが漂う演奏をします。
モンティ アレクサンダーはオスカーピーターソンの
後継者と言われていて、モダンジャズはもちろんですが、
自身のアルバムでボブマーリーのトリュビュートを出したり
ジャズと自身のルーツを大切にしているピアニストです。
スライ&ロビーはREGGAE界スーパースターでブラックウフル、
デニス ブラウン、アイザック ヘイズなどレゲエミュージシャンを
サポートしつつ、ミックジャガー、ボブ ディラン、ハービーハンコックなどと
競演した世界最強のリズムセクションです。
このライブはジャズとレゲエ好きにはたまらないひと時でした。
スライ&ロビーは80年代によみうりランドでしか聴いたことがなかったので
ブルーノート東京での彼らの超ド迫力なドラム&ベースには圧倒されました。
アーネストの南国ムードが漂う熟練のギターワーク、
モンティの驚異のピアノテクニックで
僕を含めたこのライブハウスに来ていた人、
全てを魅了していました。
(ジャケット写真は全て引用)
Writed by 伊知地 伸夫January 17,2018
ザ スリーサウンズ
アメリカ国内で1950年代後半から大人気だった
ザ スリーサウンズを紹介します。
僕自身は若い頃はまったく無視していて、
このピアノトリオを聴き始めたのはだいぶ後になってからです。
演奏スタイルがホテルのカクテルラウンジで聴いているような気がして、
ハードバップ派の僕には、おとなし過ぎて、なんか型にはめられていて
物足りなさを感じて避けて通っていました。
でも今ではこの雰囲気が心地よくなってきたのは、
僕自身が歳をとった証拠なんですが。
実はよく聴いてみると、ブルージーでファンキーなのです。
日本で人気が出始めたのも、かなり後だったと記憶しています。
日本のジャズファンは黙々と聴くタイプの人が多いので、
なかなか評価されなかったのだと思います。
彼らが凄いのは、結成してから約16年間メンバー交代をしていません。
ピアノのジーン ハリス、ベースのアンディ シンプキンス、ドラムのビル ダウディの
一体感のあるトリオ演奏が癖になります。
このトリオのデビュー作
1958年 introduthig 3 sounds
1961年 Moods
1964年 BLACK ORCHID
数多くのアルバムをBlue Noteからリリースしました。
50年代のアメリカ、一般的にはジャズをラジオやジュークボックスで
聴いていた時代だからこそ、ザ スリーサウンズのBGM的なサウンドが受けていたようです。
ジャズファンだけでなく、ポップスファンにも人気を博し、
軽く流して聴けるサウンドがアメリカでは逆に受けたのでしょう。
若い人にはあまり馴染みがないと思いますが
日本でもジュークボックスが流行っていましたね。
いかにもアメリカ的な雰囲気がして、僕もよく洋楽を好んで聴いていました。
当時、日本でもジュークボックスでスリーサウンズが聴けていたら
間違いなくハマっていたでしょう。
(画像は全て引用)
Writed by 伊知地 伸夫December 28,2017
Writed by 伊知地 伸夫December 13,2017
BLUE NOTEの逆襲
WOWOWでブルーノートの逆襲というドキュメンタリーを放送していました。
僕もここ最近のBlue Noteは凄いと感じていたので、非常に楽しめました。
今回はこの番組を紹介しつつ、Blue Noteについてお話しを進めていきます。
今年で創設78周年を迎えたBlue Noteは2012年に現役ミュージシャンでプロデューサーの
ドン ウォズを社長に迎えて快進撃を続けています。
ドン ウォズ
ドン ウォズはローリングストーンズ、ボブ ディランなど大物ミュージシャンを
プロデュースし、手がけたアルバムがグラミー賞最優秀アルバム受賞したり、
自身でもプロデューサー賞を受賞している大物プロデューサーです。
ロック畑のドンが何故Blue Noteの社長になったか?
ドンは当時無名だったジャズシンガーのグレゴリーポーターのライブを観て一目惚れして、
友人のキャピタルレコード社長に直ぐに契約するべきだと進言したことがきっかけでした。
グレゴリー ポーター
当時キャピタルレコード傘下のBlue Noteはカタログやグッズ販売の部門だけを残して
新しいアルバムの制作をやめる方向だったそうです。
それを避けたかった友人が、お前が社長になってグレゴリーポーターを引っ張って来いと言い、
ドンが了承したのが始まりでした。
LUQUID SPIRIT/ グレゴリー ポーター
2013年グラミー賞 最優秀ジャズボーカルアルバム受賞。
ジャズ界では異例の50万枚突破。
[WIREDより、ドンのインタビュー]
Blue Note Recordsの創始者のアルフレッド・ライオンが1939年に書いたステイトメントが残っている。
彼はそこでBlue Noteのミッションを「オーセンティックな音楽を世に送り出すこと」と書いている。
ぼくが21世紀のいまBlue Noteにおいてやるべきは、まさにそれだと思う。
60年代の音楽を再生産することじゃなくてね。
そうやって果敢に新しいチャレンジをしたおかげか、2012年の売り上げは前年比で60%も伸びたんだ。
Blue Noteは創始者、アルフレッド ライオンとフランシス ウルフが
1939年に作ったジャズレーベルです。
アルフレッド ライオンとフランシス ウルフ
アルフレッド ライオンとソニークラーク
COOL STRUTTIN'の打ち合わせ
1986年初来日
第一回マウントフジ ジャズフェスティバル
ライオンは熱狂的なジャズファンで最初は貸しスタジオで
個人的な楽しみのつもりでレコーディングをし、数枚プレスして終わるつもりだったが、
あまりに出来が良かったので市販することにしたのが始まりでした。
ライオンは私財を投げ打って、特に人種差別をうけていた黒人の無名のミュージシャンを
次々と起用してアルバムを作りました。
ライオン自身もドイツ系ユダヤ人でナチスドイツの迫害を逃れて
アメリカに移住しています。
セロニアス モンク、ホレス シルバー、ハンク モブレー、ルー ドナルドソンなどの
初リーダーアルバムを作り彼らを育てあげていきました。
商業的にはかなり厳しくて、ミュージシャンと同じような生活を繰り返していて、
とうとう健康を害してしまい、自身の分身でもあったBlue Noteを
1966年にリバティレコードに売却しました。
ライオンは何十年間もその時代ごとに一番革命的なアーティストと契約してきた。
我々もそれを心がけていかなくてはならない。 (ドン談)
ドンが就任後、彼はウエイン ショーターをBlue Noteに呼び戻し、
ジャズの王道を歩み続けることを宣言。
一方ではヒップホップ世代のホセ ジェームス、ロバート グラスパー、
日本人トランペッター黒田卓也など新しいミュージシャンと次々と契約。
Blue Noteの最大の武器は本物の才能を見抜く感性で、
ドンはジャンルの壁を超えたロバートグラスパーの才能を引き出し、
ジャズミュージシャンで初めてR&B部門でグラミー賞を受賞させ、ジャズの可能性を広げました。
ウェイン ショーター
ホセ ジェームズ
BLACK RADIO/ ロバート グラスパー
アカデミー賞受賞作品
ドンもライオンと同様に人種差別に偏見を持っていて、
パナマ人の父を持つホセ ジェームス、日本人の黒田卓也などと
契約するのも肌の色ではなく、彼らに本当の才能を見抜いたからです。
まだまだBlue Noteについて書くことが尽きないのですが、
最後に熱烈なジャズファンだった創業者フレデリック ライオンの意思を持った
ドン ウォズが21世紀の新しいBlue Noteを全世界の音楽ファンを魅了していくことと思います。
もっとも大事なのは、常にファンであること。(ドン 談)
(画像、インタビューは引用)
Writed by 伊知地 伸夫November 22,2017
Writed by 伊知地 伸夫November 03,2017
クリフォード ブラウン
テナーサックス奏者、作曲家ベニーゴルソンの作品に
I Remember Cliffordと言う曲があります。
この曲は25歳で亡くなった天才トランぺッター、クリフォード ブラウンを偲んで
ベニー ゴルソンが作曲したバラードです。
ベニーゴルソンとリーモーガンがブルーノートに残したアルバム LEE MORGAN vol.3で
聴くことができ、リーモーガンの吹く悲しく切ないメロディが心に響く名曲中の名曲です。
1956年、マックスローチとコンボを組み活躍して最中の事故で
同僚のピアニスト、リッチーパウエルとその妻と3人で公演地に向かう途中の自動車事故で即死でした。
デビューが1952年ですから、たったの4年しか活躍していないのに
ブルーノート、エマーシー(マーキュリー)などに沢山のアルバムを残しました。
クリフォード ブラウンは天才と言う言葉がぴったりなトランぺッターです。
幅広い音域、天才的なテクニック、歌心のあるアドリブ、そして練習熱心で
誰からも愛される温厚な性格だったそうです。
ブラウニーと言う愛称で呼ばれていた彼はジャズミュージシャンに付き物の
ドラッグにもまったく縁がない真面目な人でした。
あのMILESもブラウニーに一目置いている存在でした。
エマーシーから出ているマックスローチとの双頭コンボでのブラウニーのスリリングな
トランペットとマックスローチのダイナミックなドラムは天下一品です。
女性ボーカルとも共演していてヘレン メリルやサラ ボーンと
名盤を残しています。
お馴染み、ヘレン メリルのYou'd Be So Nice Come Home To、
サラ ボーンのLullaby of Birdlandの聴けるこれらのアルバムでは
ブラウニーのサポートに徹した控えめな演奏とソロになるとブラウニー節が
全編に響き渡っています。
仮にクリフォード ブラウンが事故死していなかったら
ジャズ界は大きく変わっていただろうと言われています。
天才トランぺッター、クリフォード ブラウンは永遠に多くの人に
愛され続けて行くことでしょう。
(写真は全て引用です)
Writed by 伊知地 伸夫October 18,2017
僕がジャズを聴き始めた頃には、僕の好きなミュージシャン達は
ほとんどが亡くなっていて、リアルタイムで見聞き出来た
ジャズジャイアンツは多くはいませんでした。
高校時代になりますが、アートペッパーのLIVING LEGEND(1975年)が
発売された時のことは今でも覚えています。
ART PEPPER
麻薬中毒により50年代後半の活躍を最後に何度も刑務所を行ったり来たりで
60年代後半は薬物中毒更生施設に入っていて、出所後の復帰アルバムでした。
ですから1960年を最後に15年ぶりのリーダーアルバムだったのです。
僕は当時アートペッパーはとっくに亡くなっていたと思っていたので
凄く嬉しくて毎日のようにこのレコードを聴いていました。
当時のスウィングジャーナルでも大々的に特集していたのを覚えています。
この頃のアートペッパーはコルトレーンの影響を受けていて、
彼本来の音とは違い、巷では賛否両論が出ていましたが、
僕にはどうでもよくて復活したことが嬉しかったのでした。
LIVING LEGEND(1975年)
彼本来の音は、カルフォルニアの晴れた青い空で小鳥がさえずっている風景を連想させ、
得意のブルースを奏でる時は哀愁の漂う泣きの音色が魅力です。
代表作は1956年~57年にほとんどが録音されていて、
最高傑作と言われているモダンアート(1956)、マイルスのリズムセクションとの共演の
人気盤のミーツ ザ リズムセクション(1957)、ベサメムーチョが入っている
ザ アートペッパー カルテット(1956)などが有名でこれらのアルバムは
ジャズファンなら必ず持っている定番中の定番です。
MODEN ART
ART PEPPER meets The Rhythm Section
The ART PEPPER QUARTET
後年の彼は精力的に活動して数多くのアルバムを残しました。
リーコニッツやソニースティットともアルバムを作っています。
そのどれを取っても甲乙つけがたいのですが、
僕は1978年に出したAMONG FRIENDS(再会)がおすすめです。
このアルバムはモダンアートで共演した旧友ラス フリーマン(ピアノ)との再演です。
ラス フリーマンはお馴染みのチェットベイカーとも数多くのアルバムを残しています。
アートペッパー自身がラス フリーマンと再演したいと言い、彼を選びましたが
彼は13年間ジャズから離れていて、この話を断っていました。
何度も何度も熱心に頼み込んだ結果、クラブに出演していた
アートペッパーの演奏をわざわざ聴きに来て共演を決めたそうです。
よっぽどアートペッパーの演奏に説得力があったのでしょうか?
ドラムにはアートペッパーが苦しんでいる時に力になった
シェリーマンが務める予定でしたが、スケジュールが合わず
これまた旧友のフランクバトラーが担当することになりました。
曲目は思わずニヤリとしてしまう、ブルーボッサ、ベサメムーチョなど
僕の大好きな名曲ばかりと今回の為に書き下ろした再会などです。
50年代の絶頂期の頃と同じ曲を聴き比べしても面白いかと思います。
円熟味のある演奏が聴くことができます。
RUSS FREEMAN
(写真は全て引用)
そんなアートペッパーも1984年に帰らぬ人になってしまいました。
今回のブログを書くにあたって、僕が持っているアートペッパーのアルバムを
全て聴き直しましたが、改めてアートペッパーの良さを再認識させられました。
ついつい口ずさんでしまうほど、魅力的な音色ですので皆様も是非とも聴いてみて下さい。
Writed by 伊知地 伸夫September 29,2017
正統派ジャズしか聴いていなかった僕にとって
1981年発表のTHE LOUNGE LIZERSは
天と地が逆さになった衝撃的なアルバムでした。
THE LOUNGE LIZERS
このアルバムが発売された当時はジャズ喫茶にどっぷりとハマっていて
ジャズは黙って聴くものだと思っていました。
僕にとって、このアルバムはまさにパンクであって
身体を激しく揺らして聴いていた記憶があります。
ジョン ルーリー、アート リンゼイなど80年代を代表する
NYアンダーグラウンドのミュージシャン達が集結して
当時フェイクジャズと呼ばれたパンク、ニューウェーブ、ジャズを
MIXしたようなアルバムです。
俳優でもあるジョン ルーリーのアルトサックスとアート リンゼイの
破壊的なギターが何とも言えない味わいを出していました。
アンダーグラウンドの聖地
80年代NY CBGB
THE LOUNGE LIZERS
僕はこのアルバムの2曲目のハーレムノクターンが大好きなんです。
ジョン ルーリーのエロティックなサックスがいい味を出しています。
元々はジャズのスタンダード曲で、エリントンを始めソニースティットなど
多くのジャズメンが演奏をしています。
でもこの曲に限っては、ジョンルーリーやジャズジャイアンツはもちろん好きなんですが
僕は昭和のお父さんの定番サム テイラーのテナーサックスの方がもっと好きなんです。
鳥肌ものですよ。
皆様もYouTubeで是非とも聴いてみてください。
サムテーラーはジャズとはちょっと違うムード音楽の第一人者です。
日本の昭和歌謡大全集なんかも出しています。
サムの吹く骨太のハーレムノクターンから猥雑な昭和のエロスを感じるのは
僕だけでしょうか?
話が逸れますが、エロさではキューバのマンボの王様
ペレス プラードのタブー(加藤茶のちょっとだけよの曲)に
匹敵すると思っています。
ところで、ペレス プラードのお洒落にはいつも感心させられています。
お洒落ですよね。
日本のクールビズのだらしなさに比べ、LOUNGE LIZERS、
サムテーラー、南国キューバのペレスさんのようにタイドアップした方が
よっぽど涼しげでCOOLだとは思いませんか?
(写真は全て引用)