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Tarr Be'la

Written by 慶伊 道彦March 11,2013

”ニーチェの馬”

タル ベーラ監督の”ニーチェの馬”を、大阪上映まで追いかけて再度見てきました。
僕にとって今までの最高の感動をいただけた映画だけにもう一度見たかったのです。

詳しいストーリーや前ブレは野暮というものですね。ここでは、監督のインタビューだけを
コピーして抜粋して載せます。

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34年間の映画人生を振り返り「非常に長い道のりでした。今回の作品に入る前に、これが最後の作品になると予感していました。
自分の仕事は終わったと感じています。言いたいことはすべて語りつくしました」と話し、
こう補足する。

「私たちはこれまで人生について語ってきました。これが、最後の言葉です。
何かそれについて、本質的なことを伝えたかったのです。
人は人生を生きる中で、朝起きて、食事をとり、仕事に行く。いわばルーティーンというような日常を歩むのですが、それは毎日同じではないのです。
人生の中で、我々は力を失くしていき、日々が短くなっていきます。
これについて、人生はどう終わるのかについて触れる映画を作りたかったのです」

「(長回しは)私の映画の言語です。俳優が逃げることができずに状況の囚人となるのです。スタッフ、キャストの全員の集中力、ベストな状態が求められ、カメラが回るそのことが何かを生むのです。
また、映画は自分にとって、絵であり、リズムであり、音であり、人の目、動物の目であったりします。
こういう長回しの映像を見ている観客はストーリーを追うのではなく、空間、時間、人間の存在を追い、それをすべて集約してその場で起きていることを感じる。
そういうアプローチをすることによって、人間はより近づけると思うのです」

「仕事をしたくない馬をキャスティングしたのです。ルーマニアの国境近いある村で、雨の日曜日に見つけた雌馬です。
非常に哀愁を帯びていて、持ち主は『仕事をしたがらないから売れもしない、
今日売れなかったら肉屋に送りだしてソーセージになる』と言っていました。
私は即座にこの馬だ! と思ったのです。
馬を含めすべてのキャストはカメラの前で何かを演じているのではなく、存在するだけなのです」

「メッセージはありません。これはただ映画であり、もしそれが観客の心に触れて動かすようなことができれば、我々はパーフェクトな仕事をしたと思います。
で、結果がでなければ我々は間違っていたのだと思います。
私は予言者ではありませんし、友人とともに我々の見る、感じる世界を描いています。
黙示録(アポカリプス)は、テレビや映画では業火がでてきたりしますが、本当の終末というのはもっと静かな物であると思います。
死に近い沈黙、孤独をもって終わっていくことを伝えたかったのです」

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是非!劇場でしか味わえないこの映画、==”映画の極点”といわしめる==
まだまだ公開を順次しています。  
公開中の大阪、名古屋に続き、 3/24~4/29  静岡、広島、福島、秋田、北海道、と。
小旅行がてら、フラッといかがですか?

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